10日間にわたるフリンジフェスティバルは、数公演をはしごすることでおもしろさが見えてきた。さまざまなフレーバーのスナック菓子をつまみ喰いするよう。ことにトロントのフリンジは3組によるショーケース式で、持ち時間はパフォーマーにつき最長18分と短いのでそのものだ。モントリオールでは一組が一公演を独占することができるし、各々30分は確保できる。パフォーマーの中にはシーズン中の劇場にお目見えする面々もおり、質の幅はピンからキリまである。平日の昼間でも劇場をほぼ満杯にするカンパニーもあれば、週末でも3分の1も埋まっていない公演もある。そんな格差を見ることで、フェスティバルの顔が見えてきた気がした。

 とにかく、「インディペンデントアーティストたちが主役の祭り」という形容がふさわしいだろう。カナダとアメリカ全土で30以上のフリンジフェスティバルが開催される。そのうちのいくつかは、アーティストたちがひと夏中、巡回公演をすることもできるようにと、開催時期をずらして設定されているという。ちなみに、アーティストからの出演申し込みは “first-come, first-serve” 原則で受け付ける。

 今回、女性の生と性を描いた作品 “Sex and Sensibility” が好評だったQUICK CHANGE THEATRE (エジンバラ)、オフ・ブロードウェイも遠くない仕上がりのラップミュージカルを見せたFOQUE DANS LA TETE PRODUCTIONS (アメリカ; Chapters Best Text Award受賞; FDLTproductions.com )、単純で複雑な人間模様を描いた一人芝居集LE THEATRE DU XXIIIEME SIECLE等、今後の活躍が期待できるカンパニーとの出会いは収穫だった。広告ではとかく性的要素や下品さが強調されているが、これは単なる客引きのための誇張。実際の作品は商品的というよりも人間的な想像力を駆使した内容のものが多い。こうした作品をさらに多くの人々に観てもらえるよう、特に宣伝面における改良が望まれる。フェスティバルプロデューサーJEREMY “Mr. Big” HECHTMANが今年で降板するということで、来年のフリンジにどんな新風が吹くか期待したい。
■Fri.6.28 - Sun.7.14.2002 8:00pm

連邦結成100周年の67年当時、ブリティッシュ・コロンビア北方の荒野。ドイツ、イタリア、ポルトガル、WASP…異なるルーツをもつ人々が集まる。その中で鉄橋建設のために雇われた、とある5人。前向き、単純、向こう見ずな彼らでも生活と労働に価値を見い出そうともがいている。あるとき、モップを持つ手を止めたDunoに仲間のZendは言う。「お前が拭くのをやめれば、俺はもうここでは働かない。俺がここで働かなければ、鉄橋再建設は中止だ。中止になれば、列車は通らない。列車が通らなければ、日本はカナダの材木を手に入れられない。日本は原材料を手に入れられない。日本が崩壊する。世界中の経済の崩壊が始まり、誰一人働けなくなる。金持ちは破産する。貧しいやつは腹を空かせる。人々は戦争に駆り出され、死んでいく。原子爆弾が落ち、ボン!世界は終わりだ。わかるか?世界はお前にかかっているんだぜ…」

<演目>Long, Long, Short, Long<劇場>Monument-National, salle DuMaurier (1182 St-Laurent x Rene-Levesque, Metro Place d’Armes / Place des Arts)<演出>GUY SPRUNG<原作>TREVOR FERGUSON<劇団>Infinitheatre <料金>$18-$28<写真>Infinitheatre

■Fri.7.12 - Thr.7.18.2002 4:00 (Sat. & Sun.), 7:00, 9:00pm

昨年の “Le Mariage force” に続き、今夏も野外でモリエール作品を堪能しよう。Theatre du Nouveau Mondeの若手俳優8人による全16公演。マチネもあり、大人も子供もともにこの喜劇を楽しむことができる。 “Le Medecin malgre lui” 「いやいやながら医者にされ」は、即席医者となった木こりが、勘違いから次々と治療に成功するという話。Jeunes Comediens du TNMが設立されたのは67年のこと。演劇学校卒業生たちがカナダ各地でそのキャリアのスタートをきるきっかけを得てきている。事前に整理券をTheatre du Nouveau Mondeチケット売り場で入手要。

<イベント>Moliere en plein air(野外無料公演)<演目>Le Medecin malgre lui<劇場>Parc culturel Hydro-Quebec (St-Catherine x Clark)<演出>YVES NEVEU, RENE BAZINET<原作>MOLIERE<劇団>Jeunes Comediens du TNM<写真>Jeunes Comediens du TNM
Theatre Denise-Pelletier(877席)

オリンピックスタジアムを南下した住宅街にあるルネッサンス調の古劇場。北米で150余の劇場を設計したEMMANUEL BRIFFAによる建物で、29年当初は映画館として機能していた。時を経て77年、晴れて劇場となる。いかにも色あせた劇場だが、殺風景な界隈に光るネオンと、公演のある日に入り口にたむろす人々がそんな印象を吹き消す。奥行きのないホールは大理石支柱や赤いじゅうたんなど歴史の名残りをそのまま残していて、とりあえず建築装飾の細部を鑑賞したくなる。天井のフレスコ画など鑑賞しつつ階段を上り、足取りも自然とゆったりとする。劇場内でも例にもれず天使の顔や花など流麗な装飾に縁取られたバルコニーなどに目を見張る。ところで、この劇場のおもしろさは建築に限らず客層だと思う。モントリオール東部はご存知のとおり仏系庶民派エリア。それらしい客層が内装のシックなこの劇場にごくごく普段着のまま気軽に足を運んでいる。地元密着型の劇場だ。10代の学生をターゲットにしたプログラム編成も目立つ。文化的教育法の一環としての演劇。ケベックの文化教育方針を垣間見ることのできる劇場だ。来シーズンはサミュエル・ベケット、チェーホフ、モリエール等、スタンダードな作品が多い。クリスマス期には家族で楽しめるようにと、「クリスマス・キャロル」を題材にした創作を上演。庶民派エリアの重厚な建物で正統派の作品群という組み合わせに注目。

<芸術監督>PIERRE ROUSSEAU<場所>4353 St-Catherine (x William David, metro Viau + bus #34, metro Pie-IX + bus 139 s.)<詳細>オフィシャルサイト

Centaur Theatre Company(845席)

オールドモントリオールにあるこれもまた古劇場。こちらは英語系だ。建物はカナダ初の株式市場ビル。ギリシャ調の重厚な支柱が入り口にそびえ立っている。69年にこの建物の一部を改装してCentaur Theatreがオープンした。当時のプログラムはミラー、ブレヒトなど国際派の現代劇が中心だった。現在ではオリジナル作品が各地から集められている。また、Centaur Theatre Company 自体による制作の9作品が今日まで成功を収めてきた。これは97年就任の現芸術監督GORDON MACCALLによる趣向だ。数十年にわたる歴史の中、カンパニーがたどり着いた方向性がはっきりと見える。さらに98年には仏系人気作家MICHEL TREMBLAY作品の英語版を上演。モントリオールの英語系と仏語系スタッフが協力する演劇史上の記念すべき時を迎える。外見と異なりシンプルでモダンな内装は、上演作品の個性を引き立てるかのよう。ここ5年以上前から、Les Masques賞を英語劇部門で受賞する常連であることがその充実した人気ぶりを物語っている。確かに、演劇を専門としていた英語系の知人たちは、この劇場をさも自慢げに紹介してくれたものだ。モントリオールでは英語系としてもっとも信頼のおかれている劇場だ。

<芸術監督>GORDON MACCALL<場所>453 St Francis-Xavier (x Notre-Dame, metro Place d'Armes)<詳細>オフィシャルサイト
<観劇後感>

観 劇 日:Wed.5.22.2002
演   目:Les Fleuves profonds
監   督:JOSE NAVAS
原   作:JOSE MARIA ARGUEDAS
脚   本:WAJDI MOUAWAD
劇   場:Theatre Quat’Sous

 公演後のトークを聞きながら、テーマの「死」よりも、傍観者として「演劇とは」を考えていた私。一方で近親の「死」にまつわる個人的体験を告白する観客たち。先号で述べたように演劇が思考や議論を生むひとときだ。舞台装置の効果や演技そのものについて話す人は誰もいない。テーマに直に入っていく。センチメンタルになることなく自分に正面から向き合って、喪の哀しみについて自分の立場を言葉にする。立場に正も否もない。ただ、それぞれが独白することで、自然と他人のあり方が浮き彫りになってくる。そしていつしか主題はカトリック教、そしてケベコワの人々の言語へと流れる。ケベック語は「実用的」な言語だというWAJDI MOUAWAD。ケベコワの人々自身のそれを認める発言。彼らが自分たちの言語について客観的に認識しているのだというのは発見。そして行き着くところはやはり典型的でもあり、言語はプライドだ、と言う。

 さて、当作品に描かれた「死」は、「死」というものが微妙な時空間に存在、あるいは浮遊でき得るのだということを示してくれた。少年ERNESTOは独房に近い部屋に隔離されている。上手の鉄扉の向こう、つまりステージ外は「生」の世界。ステージが外でステージ外が内という奇妙な感覚をおぼえながら観る。当のステージ上には水が張られている。半死状態を表す最も効果的な比喩だと思った。歩くたびに微妙に水の動く音が呼応する。なんとなく、湿気が観客席にまで伝わってくる。さらにすばらしいのは、水に反映した照明だ。倒錯した空間が実現される。前半は水に足が浸かった状態で静かに歩を進める出演者3人のジェストが中心。ことに神父のそれはほぼ舞踏に近い。中盤以降は詩の朗読にも近い「祝詞」が死者を弔う儀式を強調する。そこに居合わせるのは少年(ERNESTO) と 「半死人」 (LA POPA)、そして神父。

 自分の死を実感することのできなかったLA POPAは、ERNESTOとの対話により、次第に状況を悟っていく。「インディアンがぼくに死というものを教えたんだ」「さあ、ぼくが途中まで一緒に着いていってあげるから」 幼少の頃、父親によりアンデスの山奥にあるインディアン村に一人置き去られたERNESTOは、インディアンの文化からは認められていなかった。しかし、その言語と音楽を学ぶことで儀式的要素の高い文化を体得していたのだった。

 死に切れない死人が亡霊として「この世」に留まるという発想は、日本の霊に対する捉え方に通じる。息の根がとまることで身体的な生死の区別は受け止めることができても、精神的にはどうか。精神世界が深い文化であればあるほど、この疑問は波紋を呼ぶ。そして「死」の世界に注目することにより、「生」の世界も自然と浮き彫りになる。自分が「生」と「死」の世界の境目をいつ通過するかは知るよしもないが、この演劇(文学)作品により、その境目を傍観した気がする。結局、「弔い」とは死者たちが生き残された人々に促す役回りなのだと思う。「生」がある以上いつしか「死」も自分に訪れる日がくると悟っているだけに、先人を見送る「弔い」を怠ることはできない。

取材・文:広戸優子
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