2003年、『Les Triplettes de Belleville(ベルヴィル・ランデブー)』は、カンヌ国際映画祭でプレミア上映されるや、いちやく世界の話題になった。その後、ニューヨーク、ロサンゼルス、シアトルなど米主要都市での映画批評家協会賞で、いずれも最優秀アニメーション映画賞、ボストン映画批評家協会賞では最優秀外国語映画賞を受賞。同様に世界各国の映画賞をさらい、2003年度アカデミー賞においては、長編アニメーション映画賞・歌曲賞の2部門にノミネートされている。
 監督は、シルヴァン・ショメ。そして、音楽を担当したのが、今回のインタヴュイー、ブノワ・シャレスト氏である。
 『ベルヴィル・ランデブー』では、セリフが極端に少ないぶん、音楽やサウンドが重要な位置を占めている。3つ子の老女が演奏する場面では、彼は実際に掃除機(HOVER)を使って音色を作るなど、その手法もまた話題になった。
 日本では「フレンチ・アニメーションの傑作」として紹介され、カナダ、ベルギーとの合作であることもあまり知られていないが、フランス出身のシルヴァン・ショメ監督は、最近まで十数年間モントリオールを拠点にしており、『ベルヴィル・ランデブー』の製作も、その多くはこの街のアニメーション・スタジオが手がけている。そして、音楽を担当したシャレスト氏は、モントリオール生まれ、モントリオール育ち。マイル・エンドのスタジオで、話を聞いた。

--- ホームページを拝見しました。バイオグラフィーの最後に、「いまはようやく手に入れた成功を味わっている」とありますね。

 「Oh. そんなことが書いてあるとは知らなかった(笑)」

--- でも、『ベルヴィル・ランデブー』以後、実際、変化は大きかったでしょう。

 「確かにそうですね。おもしろい人たちにたくさん会えたし、様々な機会を与えられています。ただ、僕自身はこの成功に至る以前に、ミュージシャンとして悪い癖をすっかり確立してしまっていたようなところがあって……(笑) 」

--- 悪い癖?

 「自分が作り上げたものを、ただそのまま楽しむ人生、というか」

--- 他人の評価は気にせず、自分の好きなことをやる。

 「そう、自分の好きなことをやる“悪い癖”。そういう部分はまったく変わっていません。以前と同じことを、同じようにしています。でも、もちろん仕事としてとらえると、より多くの機会を与えられるようにはなっています。扉が開かれた、という感じですね」

--- あなたにとって<アカデミー賞にノミネートされた>ということの意味はなんでしょう?

 「あまり圧倒されないようにしています。自分を護ろうとしている部分もあるかもしれない。実際、驚いたし、業界において認められたという点ではうれしいけど、あまり真剣にとらえてもいません。というのは、これまでに多くのクリエイターに影響を与えたような傑作や、実績を残した監督が、受賞どころかノミネートもされていない例はたくさんありますからね 」

--- テーマ曲は、もともと他の映像作品のために作って却下されたものだそうですね。

 「ある人にとっては気に入らないものでも、他の誰かにはぴったりだ、という場合もあるという一例ですね。誰かがダメだと言ったからといって、作品そのものがダメだということにはならない。いまでは傑作として知られている作品が、発表された当時は受け入れられなかったという実例を集めた本があるんですが、それによると、モーツァルトとかストラヴィンスキーといった天才が、認められるまでには苦労していたそうです」

『ベルヴィル・ランデブー』のための音楽を探していたシルヴァン・ショメ監督は、ある日、クラブで演奏していたシャレスト氏に声をかけた。その後、デモテープを聴いてテーマとなる楽曲に出会い、「これだ!」と感じたという。シャレスト氏は短編を見て、ショメ監督の作品を気に入っていた。こうして強力なチームが生まれた。

 「シルヴァンには “老女が家財道具を使って音楽を演奏する”というイメージがあって、掃除機を使うのはどうかな? という程度のことは考えながら、実際にどういう音でどういう楽曲にすればいいかという具体的なアイデアはなかった。その時点では、僕にもなかった。(笑)それで、まず掃除機を持ち出して、叩いたり蹴飛ばしたりして、いろんな音を出してみた。そうするうちに、スイッチを入れた状態でホースに手をあてると、おもしろい音がすることに気がついた。それがきっかけで、手や指で空気を調節しながら、いろんな音が鳴らせるようになりました。おもしろかったのは、映画が話題になった後、カリフォルニアの男性から手紙が来て、彼は長年、HOVERを使って演奏をしていて、ジョニー・カースン・ショーにも出たことがあるというんですね。それで、技術を交換しないかと。(笑)一緒に掃除機の演奏方法についての本を書かないか、とか。HOME DEPOTで売れるかもしれないから(笑)」

--- 『ベルヴィル・ランデブー』は、完成までに5年ほどかかったそうですが、その間、音楽づくりに携わったのはどのくらいの期間ですか?

 「3年半くらいですね。それぞれのシーンができるのを待っている時間がありますから 」

--- 長い間ひとつのプロジェクトに関わっていると、最初の熱が冷めてしまったり、興味が薄れたり、ときには自信を失ったりということはありませんか。

 「毎日あります(笑) 」

--- まさか。

 「まあ、毎日じゃないかもしれないけど。2日に1回かな。(笑)でも、アーティストにとっては普通だと思いますよ。自分や自分の能力に疑問を持つというのは、決して悪いことじゃない。あまりにも自信がありすぎるほうが問題です。感情に走るのもよくないし。常に疑いをはさむことは、僕の創作活動において重要なプロセス。それまでやってきたことをいったん全部ボツにして、他のアイデアをいろいろ試した後で、結局最初のアイデアがベストだったというようなこともあるけど、いったん捨ててしまえるかどうかは大事ですね。アーティストというのは、絵を描いたり音楽を作ったりという活動のプロセスを通して、アーティストになっていくんだと思います。作品が社会に認められるかどうかがアーティストとしての肩書きを与えるんじゃない。大事なのは、その人がどのように創作活動に携わっているか、ということだと思います 」

--- 13歳で、最初にギターにふれたときのことを話してください。

 「ギターに興味を持ったのは、やっぱりその当時、ビートルズやレッド・ツェッペリンをよく聞いていたからですね。多くのミュージシャンは、まずクラシック音楽のトレーニングを受けて、ロックやジャズに転向するけれど、僕は逆でした。後からアカデミックに音楽を勉強したんだけど、かえってよかったと思います 」

--- 当時から、いつかプロのミュージシャンになりたいと思っていましたか?

 「それは、はっきりしませんね。自分がスターになるとか、プロになるというイメージはなかったけれど、ただ、楽器をうまく弾けるようになりたい、自分が表現したいものを表せるだけの力はほしいと強く願っていました。頭で考えたことが、そのまま手に伝わるような感じで弾けたらいいなと 」

--- いまのような状況になるとは思っていなかった。

 「まったく想像していませんでした。僕が将来のことをイメージするときというのは、たとえば、飛行機に乗ったら数時間後にはその飛行機をちゃんと降りたいな、ということぐらい。(笑)そう考えないと、乗りたくなくなる 」

--- 先のことを具体的にイメージして、ポジティブに進んでいこう、という考え方もありますよね。

 「僕は、ゴールを設定してそれに向かうということはあまりしませんね。いまそのときが心地よいものであればいいな、と考えます。僕たちはみんな、それぞれ個人的な経験に基づいて価値観を築いていくと思うんだけど、僕の場合、母が病気になって、亡くなったことがとても大きかった。最後の数年間は本当に悲しいものでね。母は、与えるべきものをたくさん持っていたのに、表現の仕方を知らなかった。トレーニングを受けることもなく、お金もなかった。それはひどく悲しいことだよね。僕が将来のことをあまり考えず、いまを楽しくしようと思うのは、おそらくそれが理由だと思う。ひとつひとつの“今”が楽しいものなら、それらは積み重なってまとまっていき、結果としてより幸せで長い人生を味わうチャンスにつながるような気がします 」

--- モントリオールという街について話してください。

 「仕事より、生活の場に向いている場所だと思います。混雑しすぎていない、物価も高くない。家族で生活する、ということが可能。ちょうどロンドンから帰ってきたばかりなんですが、仕事の可能性について言うなら、もう比べものになりません。仕事の機会にあふれ、芸術的な試みには活気があり、いろんなことが常に起こっている。ロンドンに比べたら、モントリオールは田舎の町。だけど、ロンドンに妻や子どもたちと一緒に住んでいる自分というのは想像できない。家賃を払うために必死で働くような生活はね。きっと、いまより自由は失われるだろうと思う。もし、僕がまだ独身の20代であればわからないけど 」

 「どの街もそうだけど、モントリオールにもいいところと悪いところがある。ちょっと批判的な気持ちも込めて言うと、モントリオールは多分世界で唯一の<10年間何もしなくても、アーティストでいられる>街。たとえばニューヨークなら、生活費を稼ぐための仕事をしながらアートを追求しなければならない現実が、野心をかきたてる部分もあるだろうけど、モントリオールにはそういう厳しさがない。一方、これを良い部分としてみれば、生活に苦労することなく広いスペースが得られて、活動がしやすいということになりますね 」

話は政治から環境問題、マテリアリズムと続き、モノと情報のあふれる世の中で、好きなことを見つけて続けてゆくことの難しさに収束していった。

 「僕は、自分はとても幸運だったと思っています。作品づくりにおいてはいつも疑いを持っていると言ったけど、<音楽をやる>ということに関しては、一度も疑問を持ったことはない。音楽は、僕のなかに脈打っているものというか、そんな感じです。いまの時代は、成功の度合いを<どれだけ儲けられるか>で計るようなところがあって、文学なんかでも、人間を成長させるような価値は見過ごされ、売り上げで評価が決まったりする。収入の額で人間の価値を決めてしまうような社会になってしまっています。僕は、子どもたちをそういう価値観に染めないように、日夜闘っている(笑)。
 僕は、音楽を仕事にすることができてとても幸運だと思うけど、同時に、そのための努力もしたと自負しています。どんな分野でも、芸術的・哲学的・科学的な知識にたどりつきたいと願うなら、そのための努力は必要ですね。あるところまでの理解ができてこそ、その次の段階に進めるんだから。そして、僕の場合、たとえばあるコード進行やスケールを心の底から理解した瞬間の喜びは、何にも勝る最高の気分です。チェックを手にするのとはまったく違う、満足感、充実感、達成感です 」

現在は、コマーシャルなどの仕事をしながら、シルヴァン・ショメ監督の次回作にも取り組んでいる。

「人からすすめられて、自分の作品をまとめる作業もしているんだけど、ずっと人のために音楽を作ってきたので、自分の作品としていざ何をやってもいいとなると、何をすればいいのかわからない」
と笑うシャレスト氏。どんな作品ができあがるのか、気長に待ちたい。

取材コーディネイト・インタヴュー・文:關 陽子
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