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--- 大学では科学を専攻していたそうですが、どのようにしてグラフィックデザイナーとしてのキャリアを確立されたのですか? そして、大学を生理学専攻として卒業するときになって、どっちの方向へ進むか迷いました。大学では神経科学に関心があって研究を続ける一方で、グラフィックデザイナーとして働くことも多くなっていたからです。それでもモントリオールにあるいくつかの大変優れた神経科学研究所でアシスタントとして数年働きました。けれどもグラフィックデザイナーとしての仕事がどんどん増えていって、とうとうどちらか決めなければいけなくなり、大きな決断をした。研究を続けていくことを止めたのです。そしてグラフィックデザイナーとしてより大きな仕事、大きなクライアントを得るようになりました。 最初の大きなクライアントのひとつは、今モントリオールで一番といわれているジャズクラブ、Upstairs Jazz Clubです。僕はアートにおけるアカデミックバックグラウンドがないために、広告代理店などとのコネクションが一切なかった。バックアップしてくれる人もいなかったし、どう始めて良いか分からず、経験もありませんでした。だから、僕は考えられる自然なことをした。つまり、自分がとても関心のある場所へ出向いたのです。僕はジャズが大好きだから、ジャズクラブへ出かけました。それがUpstairs Jazz Clubです。何故僕がそこへいったかというと、以前行ったとき、そこのデザインはとてもクールとは言えなかったからなんです。僕はUpstairsのためにそれをなんとかしたかった。そこで、ある日Upstairsのオーナーに電話して、「5分間だけお話しする時間をいただけますか」と話を切り出しました。「私にはUpstairsのイメージをよりよくする素晴らしいアイデアがあります」という風に。彼はとても興味を持ってくれて、詳しい話をする機会をつくってくれました。そこで僕は彼のオフィスに行き、座って20分ほど彼らに何が足りないか、何をするべきかを話しました。オーナーはとても興味を持ってくれて、黙って、僕の言うことをとても注意深く聞いてくれました。そしてとうとう、僕に仕事を頼みたい、どうやって始めようかという話になりました。最初のプロジェクトは、クールなカクテルメニューをつくることでした。ジャズにはとても洗練された雰囲気が大切だからです。 それがほぼ5年前のことで、それ以来ずっと僕らはとても良い関係であり続けています。彼は僕の作品を本当に気に入ってくれて、とうとう僕をスタッフとして雇いたいという話になりました。僕はフリーランサーとして働いていましたが、それでもUpstairsの専属デザイナーとして働くことに決めました。それ以来Upstairsのwebサイト、カクテルメニュー、フードメニュー、週末に大きなショーがあるときはそのポスターと、今年だけでも週末コンサート用に44のポスターをデザインしました。」
--- 芸術におけるアカデミックバックグラウンドがないために、グラフィックデザイナーになる上で、また仕事を得る上で困難なことはありましたか? そのうち僕の作品が評判になってきて、だんだん仕事を得やすくなっていきました。僕の作品を知っている人が推薦してくれたり紹介してくれたりするようになったんです。このことに関してはとてもラッキーだったと思います。自分でほとんど宣伝をしなくてもよかったのですから。たいていの若いアーティストは自分の作品を宣伝するためにもっと努力をしないといけない。仕事がやってくるのを待っているのではなくて、自分から仕事を取りに行かなければいけない。時間のかかることだし、大変な勇気もいることだと思います。特に若いアーティストは自分の作品に自信を持っていることや熱意を求められる。でも例えその時仕事を得られなかったとしても、自信をなくしてはいけないんです。もし断られたとしても、少なくとも次にどうすればいいかを学ぶことができる。全てのアーティストは全ての経験を次に生かせるものとしてとらえることが大切だと思います。もし自信をなくしたり悲観的になったりすると、クライアントはそれに気づきますからね。例え自信をなくしたとしても、それを見せてはいけない。押しが強すぎてもいけないし、かといって熱意を見せることも忘れてはいけない。アーティストは常にクリエイティブであって、どんな状況にも適応できることが大切なのです。」
--- 現在の仕事にはどのように就いたのですか? --- モントリオールはフランス語と英語のバイリンガル都市です。そのことはあなたの仕事にどのような影響を与えていますか?
「フランス語を少しでも知っていれば、とても役に立ちます。多くのモントリオールの人々は英語とフランス語のバイリンガルだし、英語を話す人も多いからです。実際、仕事をしていく上でフランス語スピーカーのクライアントと打ち合わせをするときも、僕が時々フランス語で話したり、クライアントが時々英語を話したりして、とても面白い現象だと思います。それに、他の地域から来た人々も、もしかれらにフランス語を話そうとする努力が見られれば、例えそれが完全でなくても、つたないフランス語であっても、モントリオールの人々はそれをありがたく思って、親切に対応してくれます。モントリオール地域の文化を大切にしようという努力が見られるからです。友達を作る上でも、地域になじもうとするうえでも、フランス語を知っていることはとても役に立ちます。きっとどこの国でも地域でも、日本でも同じことだと思いますが、やっぱりその地域の言葉や文化を学ぼうとせずに殻に閉じこもってしまうのではなく、その地域に本当に溶け込もうとする努力が大切だと思います。だから、特にアーティストにとっても、若かろうが熟練したアーティストだろうが、ここではフランス語を学ぼうと努力することはよりたくさんのインスピレーションを得られることにつながるのです。フランス語を学ぼうと努力することで、よりたくさんの事・物からアイデアが得られるはずです。そしてそれこそが創造力を生み出すのです。僕はどんなアーティストにとっても、どれだけたくさんの創造力を得られるかが一番大切だと思います。 --- “INOUE”というのは日本の姓ですが、日本にルーツを持っているのですか?
「ええ、僕の両親は北海道から来たんです。北海道はここモントリオールと気候も似ていますよね。四季があって、秋には紅葉もあるし、冬はとても寒くて雪もたくさん降るし。」
「僕はここで生まれて育ちましたが、それにも関わらず両親が日本から来たということで2種類の物の見方を持っています。日本にルーツがあるということから、日本には小さな頃から興味を持っていたし、でも同時に、もちろんここで育ち、教育を受けたということでモントリオールの文化にも大きく影響されています。だから、何故ここの人々が日本に興味を持つかというのがよく分かるのです。僕はこちらで放映される日本についてのドキュメンタリーとか、ここで手に入る日本についての雑誌を読んだりしています。その中では、日本の芸術的な面についてとても好意的な視点で紹介されていて、僕はとても大きな影響を受けました。 --- モントリオールの魅力について聞かせてください。 「僕はグラフィックデザイナーとして、モントリオールにいられてとても満足しています。モントリオールには、アーティストに対してとてもオープンな文化的風土があります。クラシック、ジャズ、ロック、劇場、博物館も充実しているし、芸術に関してはとても豊かな環境が整っています。実に多様な国籍の人々がいるし、バイリンガル都市であるということがより芸術に対しての多様性を加えているのです。実際、僕の知っている人たちでごく最近モントリオールに移ってきた人たちはみなここの多様性に感銘を受けています。例えば、アメリカのいくつかの地域ではいろいろな国から来た人たちも、よりアメリカ文化に順応していて、もしかするとそれぞれの文化からの影響のいくつかを失うかもしれない。でもカナダでは、特にモントリオールではより他の地域の文化に対してオープンなので、それぞれの文化を尊重しあって、同時に存在しています。それこそがモントリオールの面白い所だと思います。」
実際、モントリオールにはバイリンガル都市であることによる独特の現象が見られる。フランス語映画の映画祭では英語の字幕がついていたり、英語の映画祭ではフランス語の字幕がついていたりする。どちらかの言語が得意でない人々も同時に同じ映画を楽しめる。印刷物のほとんどは、ジュースのパッケージでさえフランス語と英語の両方で書かれている。雑誌はもちろん、無料情報誌にもフランス語版と英語版の両方が存在する。様々なフェスティバル、堅くなりがちな国際会議のポスターでさえとてもアーティスティックである。他言語、多文化が同時に存在するモントリオールだからこそ、どんな言語を話す人々にも共通する芸術という言語を受け入れやすい土壌ができているのかもしれない。
Tom Inoue | |||||
取材・文:後藤さおり | |||||
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