人に元気を与えるオーラのような何かを、発している人がたまにいる。Nantha Kumar氏は、そのような人のひとりだ。
 マレーシアの出身。『エコー』、『スター』という英語新聞の記者を経て、1982年カナダへ移住。ケベック州政府の移民局ではトランスレーター、CBCではテレビ番組の制作アシスタントを努め、コンコーディア大学であらためてジャーナリズムの学位をとった後は、全国紙『The Globe and Mail』にインターンとして迎えられた。その後、国際的な活動で知られるオタワのエージェンシーの依頼を受けて、マレーシアや東ティモールで取材・撮影を行う。
 ジャーナリズムを離れてからは、アジア料理のシェフとして活躍。フレンチやイタリアンを専門とするシェフたちにエスニックな食材やスパイスの使い方を教えたり、新しくオープンするレストランのメニューを開発したり、あるときはオールド・ブリュワリー・ミッション(ホームレスの人々に食事やシェルターを提供するボランティア組織)で特別ディナーを催したりと、モントリオールの食文化にはさまざまな形で貢献している。
 現在は、フリーペーパー『mirror』の広告部に身を置きながら、年間を通じて行われるさまざまなフェスティバルやイベントの企画・制作、そして宣伝に関わっている。「ハッピーでいるためには努力が必要」という彼に、話を聞いた。

--- 興味深い経歴をお持ちですが、子供の頃は、何になりたいと考えていましたか?

 「最初は、医者になりたかった。マレーシアではパラメディックになるトレーニングを受けて、プロのファースト・エイド(救急隊員)になるところまではいったんです。でも、モントリオールに来てからは、一度アップグレードのコースを取っただけで、あとは怠けてしまった。北米での医学への取り組みかたが、あまり気に入らなかったというのもあったかな。健康というのは“マインド&ボディ”が本来持っている力なのに、ここではクスリを使ってかえって体を悪くしているようなところがある。
 まあ、そんなわけで、ドクターになるという夢は崩れた。でも、いつからか仕事というのは自分で選ぶものではなくて、向こうからやってくるものだと考えるようになりました。仕事のほうがこっちへやってくる。いい人たちがやってくる。僕の人生は、いつもそんなふうに方向が決まっていきます。
 ジャーナリズムの世界に入ったのも偶然だった。友達が『エコー』で働いていて、ある日、ちょっとやってみないかと電話で言われたのがきっかけだからね。アジアでは、記者として働くためのトレーニングは、古くからの徒弟制度というか、師について仕事を身につけるという方法が主流。僕の場合は、まずその友人のアシスタントとして数ヶ月働き、それから編集本部に送られて、マレーシアではとても有名なあるベテラン・ジャーナリストに就きました。僕は、彼をバイクに乗せて記者会見から記者会見へと移動し、彼はメモを取り、取材が終わるとふたりで飲みに行って、食べて、それからオフィスに戻って記事をまとめる。そんな毎日はとてもおもしろかった。
 やがて自分で記事を書くようになり、ローカルな事故や火事などのレポートを経て、政治に関するものや、大きな事件の裁判なども担当したけど、死刑判決なんかを報じるのは本当に嫌だった。マレーシアでは、タイから流れてきたドラッグが国境で発見されることがよくあるんだけど、ドラッグの売買は死刑なんです」

--- 政治や社会的な問題を扱ってきたところへ、料理に関する仕事はどんなふうに「やってきた」のですか?

 「アジアからモントリオールに戻った後、『Mirror』の記者になりました。1年半後には当時発行されたばかりの『Hour』に移り、そこでレストラン評を1年間担当することになったんだけど、そんなとき、たまたまあるレストランでシェフが逃げ出してしまうという事件があって、オーナーが僕にやらないかと言ってきたんです。僕は、友だちを集めて料理をするのは好きだけど、レストランで働くなんて考えたこともなかった。だけど彼女は、『いいから来て、ここで友だちのために料理をすればいいじゃないの』と言う。それで、ある土曜日にそこへ友だちを呼んで料理をしたら、大評判になってしまった。(笑)」
 「それから、シェフとして料理をするようになって、1年ほどして別のレストランに移って……。しばらくは、書く仕事と両立させていたんだけど、そのうちレストランのほうが忙しくなって、そっちに集中することを選びました。で、ついには自分の店を持ったんだけど、これが大いなる過ち(笑)。すごいハード・ワークで体力的にも持たないし、ちょうどアジア系の店が増えてきて、僕自身も飽きて、3年半ほどで閉店しました」

--- レストランでの仕事が恋しくなることはありませんか?

 「あるよ。レストランというのは、文化を知る最適の場所だと思う。食べ物を通し、人を通して、文化にふれることのできる場所だからね。そういうところで仕事をするのは楽しいよね」

--- 何カ国語を話すのですか?

 「タミール語、英語、マレー語、中国語(福建)。(マレーシアでは、ほとんどの人が3〜4カ国語を話す)それにフランス語、スペイン語、手話。手話で通訳をしていた時期もあります。彼らには彼らのカルチャーがあって楽しいよ。いまでも友人としてつきあっている人がいます。言葉を学ぶのは好きですね。時間があれば、もっと勉強したい。たとえばモントリオールに15年も住んでいてフランス語を話さない人とかいるけど、逃してるものが多いよね。映画も、場所も、音楽も。いいのも悪いのも。(笑)。僕の場合は、ここに来て3ヶ月くらいで『フランス語を学ぶ!』と決心した。ジョークがわからないことが許せなかったからね」
 「生まれてからずっとフランス語を話している人たちだって間違いはおかすんだから、間違いなんか気にしない。要は、コミュニケーションの問題でしょう。言葉を学ぶことによって、より良いコミュニケーションが可能になって、他の人々との理解につながる。レイシズムの最初のサインは、『ああ、そのアクセントは好きじゃない』というようなコメントだと思う。もちろん、ある種の言語を母語とする人々のアクセントは強いでしょう。でも、誰にだってアクセントはある。当然、僕にだってある。でも、『君のフランス語は何を言っているのかわからない』と口にすることは、敬意を欠いているし、理解を放棄してるよね」

--- これまでにあなたが紹介された記事を読むと、おもしろい表現が目にとまります。たとえば、Spice Wizard(スパイスの魔術師)。あるいはImmortal scenester(さまざまなシーンに現れる不死身の社交家?)。自分で自分を形容するとしたら?

 「“グッド・ライフの追求者”かな(笑)」
 「ダンスをすることや、パーティーが大好き。いまはパーティーも仕事につながっているけどね。人との関係というのは本当に大切だよ。だから、広告の仕事をしていても、僕はいつも本当のことを言うようにしている。たとえば、レストランが新聞に広告を出したいという。でも、あまり効果がないと思われるときは、もったいないよ、と正直に言います。同じ予算を新しい看板を作るのに使ったほうががいいよ、とかね。セールスの仕事をするとは思っていなかったけど、ジャーナリズムの世界で学んだことも役立っている」
 「誰も、他の誰かとトラブルを起こしたいとは思っていない。少なくともそう信じたい。国のレベルではいろんな問題を抱えているかもしれないけど、人が生活している範囲=ビレッジのレベルでは、いろいろナイスなことがあって、それらはみんな“人”に関わっている。誰と知り合い、誰とつきあい、誰と一緒にいるかで楽しく幸せに暮らせるかどうかが決まる。僕は、楽しくするための努力をしているよ。大切な友だちを維持するのだって、実はハード・ワークだよ」

--- モントリオールという街の魅力については?

 「モントリオールには、本当に世界中からいろんな人々がやってきている。いろんなところを旅してきたけど(ときには数カ月ずつ)、ヨーロッパや北欧にいるときはもちろん、母国マレーシアにいるときでさえ、モントリオールが恋しくなるんだ。ここは特別な場所だよね。都市なのにあわただしさがなく、英仏のバランスはもちろん、いろんな文化が混ざってマジカルな状態を作り出している。ただ、ときどき僕は、気候に文句ばかり言っている人が多いのにうんざりするね。だって、視点を変えればここには大きな地震もないし、ハリケーンやトルネードだってない。大規模な自然災害にはほとんど見舞われたことがないでしょう。僕は暑がりだから寒いのは平気だし、いろんな服が着られるから、かえって冬のほうがいい。暑いときは、あるところまで脱いでしまったらそれ以上脱ぐわけにいかないけど、冬は着ればいいんだから。夏は夏でみんな暑い暑いっていうけど、いくら暑くても死にやしない。みんな文句を言いすぎだよ(笑)」

 アジアを旅している途中でのこと、道ばたに小さな店を開いてガーデニング用品を売っている男を見かけた。看板には「もし、ここより安い店を見つけたら、そこで買え」と書いてあった。
 「いいよね、そういうの!」と、Kumar氏は笑う。自分の好きなようにやる代わり、他者に干渉しない・されない。
 「<こっちも安くしなければ>と、競争しようとするとするとストレスになる。<もっと、もっと>と欲張りになっていると、ストレスになる。そんな状態では、たとえお金がたくさん手に入っても、幸せだとは思えない」
 話題はイラクのこと、日本のこと(現人神から村上春樹まで)、死刑制度とDNA、パレスチナとイスラエル、チベットとダライ・ラマなど実に多方面へ飛ぶ。それぞれについて詳しいことには、驚くばかりだ。

--- シリアスでポリティカルな一面と、楽天的で享楽主義的な別の一面。インターナショナルな視点とローカルな地域へのコミットメント。対極にありそうな要素のバランスがいいですね。

 「ニュース中毒なんですよ。調べて知識をひけらかそうというのではなくて、ただ何が起こっているのかを知りたい。おかしいと思うことがあれば、その背景が知りたい。いまではインターネットで世界のニュースが読める。食べることも出かけることも好きだけど、気になるニュースを読むのに、大した時間はかからないでしょう? 僕らはもう、インターナショナルなコミュニティーの一員なんだから、世界で何が起こっているかを知っておくことは、地球の住人としての義務といってもいいんじゃないかな」
 「初めて東ティモールに足を踏み入れたその日に、目の前で男の人が死んでしまった。誰かに復讐されて死んだみたいだった。みんなが、身近な誰かが殺されたとか、行方不明だとか、拷問されたという話をしていた。これ以上のめちゃくちゃな状態はないと思った。でも、いまでは独立国家として国連にも加盟している。
 ニュースの世界にいると、リアリティの在り方が違ってきてしまう。感じるべきことを、感じないようになっていく。感じないようにしなければならないし、鈍くなってしまう。僕は、あまりにもたくさんの死を目にしてしまったので、もうよほどのことがない限り、恐怖を感じたりはしない気がする。二度とああいう仕事をしたいとは思わない。ただ、ジャーナリストに限らず、不正義に対しては、人は立ち上がって『NO』と言うべきだと思う。永遠のような時間がかかるかもしれないけど、やればできると思う。選挙に行って意思表示をすることもそのひとつ。政治家にメイルを送ることだっていいしね」

--- まだ経験したことがなく、これからやってみたいことはありますか?

 「長い間考えているのは、いつかはどこか他の国に行って、助けが必要な人々のために働きたいということ。ただ、いまはまだその時期じゃない。まだセルフィッシュだし、自分自身が楽しみたいからね。それに、子どもがふたりいるので、世界平和を掲げて彼らをほったらかしにするわけにもいかない。でも、彼らが自立したら、どこかで必ず何か役に立つことをしたい。言葉を教えるのもいいね」

--- 最後に、ポジティブに生きる秘訣を教えてください。

 「時間がありすぎると、余計なことを考えすぎる。時間がないと心配する暇もないから、考えるより行動すればいいんじゃないかな。出かけて友だちに会う。新しい友だちをつくる。僕も問題はいろいろ抱えてるけど、文句を言うのはやめて、とにかく行動するようにしている。いつも3年半くらいで他のことがやりたくなるんだけど、何であれ、楽しみ学びながら仕事をするためには、その仕事が好きじゃなければやれないね。自分がハッピーじゃないことで、周りの人たちをアンハッピーにしたくないしね。いまの仕事は素晴らしいよ。とても気に入っています」

 週に1〜2日は午前3時までダンスを楽しみ、週末は友人と共有している郊外の別荘でのんびり過ごす。頼まれれば、パーティーのケイタリングも引き受ける。Happyな毎日を生きるために必要なのは、何よりもまず心身の健康。そして大切な家族や友人。
 「人に優しくすることは、簡単でしょう?」という言葉が心に残った。

取材・文:関 陽子
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