「ここが私のお城です。」そう言って私たちを自宅地下のアトリエへ招き入れるなり最新作を披露してくれたメリンダ・パップ。過去20年来、常に質感に着目してアートと向き合ってきた彼女の最新シリーズ『L'identité』は、質感というテーマに新しいアプローチで挑んだ結果だと言える。彼女自身について、そして『L'identité』シリーズから作品をいくつか紹介したい。

Melinda Pap 2003
Melinda Pap 2003
Melinda Pap 2003
--- まず、現在作成中という最新シリーズについてですが…。

 ええ、今朝も二枚新作を作りました。作らずにはいられないという性質なので(笑)。『L'identité』はミラン・クンデラの小説『無知』に触発されたシリーズです。『無知』でクンデラが扱ってるテーマは二元性で、同時に二箇所に存在することや生存のための活力です。私は17年前にハンガリーから単身カナダへやって来ました。もちろんここが好きですが未だに受け入れることのできないこともあります。人生はそう単純ではないのです。うんと若い時であれば文化や規則に順応することも簡単ですが、時を経るごとにハンガリーでの生活や幼い頃の思い出を恋しく思う気持ちが強くなります。このシリーズは「こちら」にも「あちら」にも存在しきれない移民、異邦人としての私の感情やジレンマを投影させたものです。

--- 『L'identité』の展示予定は?

 是非したいのですが展示スペースを確保するのは大変です。私は政府から奨学金を受けていません。カナダの大抵のギャラリーは奨学金をもらっていないアーティストに対して寛容ではないのです。国内での展示が望めなければいつものように外国のギャラリーや美術館へ送ることになります。悲しむべきことですが私はカナダに住んでいるのに「扉」はいつも閉ざされてるのです。私の作品はヨーロッパでは温かく受け入れられ賞を頂くことができますが、カナダ国内では高い評価を得るに至りません。奨学金を受けていな為、ギャラリーで展示をすることが難しいのですが、展示が出来なければ奨学金をもらうことは不可能です。まさに悪循環なのです。

--- ハンガリーで生活することを考えることはありますか?

 一年の半分ずつハンガリーとここで暮らすような生活が理想ですね。今のところ実現しそうにはありませんが…。私はハンガリーではハンガリー人ではなくカナダ人と呼ばれ、ここではケベコワではなくハンガリー人と呼ばれます。他のカナダではカナダ人ではなくケベコワとなるのです。私はただ単に「私」でいる訳にはいかないのでしょうか?「出身はどちらですか」17年間繰りかえされてきたこの質問にうんざりしていますが、私はこの件について失望しているのではなくシニカルなのです。重要なのは「何が出来るか」であり「どこから来たか」ではないからです。一方、ハンガリーでは性差別が根強く残っていて女性は子供を産んで家事をするという役目を強いられています。女性は教師の職を得て一日6時間労働することなら可能でしょうが、帰宅すると家族の面倒を見る人生が当然なのです。女性は職業を諦めるほかありません。だから、私はここに留まるのです。

--- アーティストとして今に至った経緯を聞かせてください。

 ミックスメディアのペインティングから作品作りを始めました。それからフォトコピーアートへ転向しました。コピーアートとは、先ずドローイングがあってそれをコピー機の機能を多様して表面処理していくものです。コピーアートを一年間続けた後、180度方向転換をしてリトグラフ(版画)の技術とコピーアートをミックスさせたものへと進んでいきました。常に技術やメディアをミックスさせてきた結果、あらゆるメディアの特性を学ぶことができ作品の幅も広がりました。ですので、現在の作品の基礎にあるのは、コピーアートとリトグラフ、リノカット、それからアクリルということになるのでしょう。それらのミックスが私の作品のテクスチャーなのです。

--- 『L'identité』では、どういった技法が軸になっているのでしょう?

 ドローイングであり同時にペインティングというような妙なテクスチャーにとても満足していますが、残念ながら技術的なことはこれ以上お話しできないのです。四年間かけて編み出した技法は毎日の努力と経験の結果ですから。以前はリトグラフをベースにした作品作りをしていましたが、コストが掛かる技法なので諦めるほかありませんでした。今は、コストを掛ける代わりに頭を使って作品作りをしています。材料費など全て自費で賄っていますので経済的に苦しいですが、苦しむことで必然的によりクリエイティブになることが出来るのも確かですね。

Melinda Pap 2003
Melinda Pap 2003
--- 微妙な色使いが印象的ですが、どれも作り出そうとして出来る色ではないですね。

 『L'identité』ではオイルやアクリルといった様々な要素が交じり合って微妙な色合いを作りだしています。カルチャーセンターで子供たちに絵を教えているのですが、生徒が実験を通して自分だけの何かを発見できるように努力しています。他人に影響を受けることも良いことですがもっと大切なのは独自の方法を編み出すことなのです。アイデアはあるのにそれが形にならないことの方が圧倒的に多いですから、毎日の努力や経験、失敗の末、独自の方法を見出したときは最高に嬉しいものですよ。

 「アートをつくることに迷いを感じたことがない。」メリンダ・パップはきっぱりとそう言う。これまで迷ったりそれ故に回り道をした、という経験がないのは幸運なことだと思うと伝えると彼女は首を小さく傾げて見せた。「そうかもしれませんね。でも、何かしたいことがあるなら何をおいてもやるべきです。そこに迷いの余地はありません。もし少しでも迷いがあるならやらないのが無難です。勿論、不安は誰にでもあります。私も作品がギャラリーに却下された時などは自信を喪失します。でも、私は自分のしていることを理解しているのでそう堪えないのです。」微笑ながら、でもしっかりした調子で語ってくれた。

 インタヴューの最後にヴィジュアル・バイオグラフィだと言う一冊の本を見せてくれた。コピーアートと生写真というヴィジュアルにハンガリー語、仏語、英語をミックスしたショートテキストがタイプライターで添えられている。点筆(点字用の錐)、小切手などに金額を刻印するためのチェッカー(日本製!)などを使って細部にまでこだわりが散りばめられた手作り本でもある。第二章、第三章が予定されているというバイオグラフィの第一章は子供時代の思い出を綴ったもので彼女が恋しく思うという「あちら」での人生が凝縮されている。
 「これは私の曾祖母と祖母の写真です。第二次世界大戦でロシア軍はハンガリーを2日で占領しました。図書館には火が付けられ、私の曾祖母のように馬や家といった財産を持っていた人々は社会主義のルールに従って財産を諦めなければならなかったのです。そんな中、彼女達は威厳を失うことなく知性と思いやりで苦境を生き抜いた人達でした。私にとって彼女たちとの思い出は素晴らしいものなのです。」
 お揃いのドレスを着た母と子が2人胸を張ってこちらを見ているセピア色の小さな写真を指差して彼女は言った。
 儚げでありながら内から滲み出るような力強さを感じさせる『L'identité』シリーズの個展の実現を心待ちにしたい。

Melinda Pap(ヴィジュアル・アーティスト)
作品紹介サイト:www.melindapap.net
(11月完成予定)凄まじいペースで作品作りをしているメリンダ・パップの作品アーカイブ。2000年以降の作品が閲覧可。今回紹介した作品とはガラっと印象が違って面白い。

取材・文:Kanako Izawa
写真:Zoe
カバー写真:Anouk Pennel-Duguay
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