『Saved by the Belles』は、多くの日本人がカナダに対して抱いているイメージを覆す作品だと思う。たとえば大自然や『赤毛のアン』に代表されるクリーンで健康的な印象は、この作品に現れる場所や登場する人々に最も欠けているもののひとつだからだ。
 モントリオールの夜を舞台に、ドラッグ・クィーンとボンデージ・パンクの“姉妹”が、記憶をなくした青年を「救おう」とする物語。「僕はいつも、若者のムーブメントのなかに入っていきたいと思い、さまざまな土地のクラブ・シーンを目にしてきた。クラブ・シーンからその都市や国を知るようなところがある」というジアッド・タウマは、プロの俳優をひとりも使わず、この街の夜を生きる実在のキャラクターに「彼ら自身」を演じさせた。
 レバノン生まれ。ビデオグラファーとしてMUSIQUE PLUSRadio Canadaで経験を積んだ後、自らのプロダクション会社を設立。『Saved by the Belles』は、ジアッドが監督・プロデュースをつとめた初のフィーチャー・フィルムである。
 作品が上映されていた映画館Excentrisのカフェで、話を聞いた。彼は、映画にちなんで作られたLiquid Belles(ピンク・レモネード+ウオッカ+グレナデン・シロップ)というオリジナル・カクテルを飲みながら、話してくれた。

--- 作品の舞台であるモントリオールでの反応はいかがですか?

 「評判がいいのでうれしいというか、本当に自分たちの世界がそのまま表現されているという声が多いね。支持してくれる人たちが言うのは、あれは現在のモントリオールを映す鏡のようなものだけど、これから20年、あるいは50年経ったとき、自分たちがどのようになり、あの映画がどういうふうに見えるかが興味深いということ。たとえば、『Trush』という映画があって、これは1963年のニューヨークを切り取っている。そういう意味で、僕の『Saved By The BELLES』は、モントリオールの2003年を切り取った一種のドキュメントです」

--- キャストのクレジットを見ると、as himself /as herselfという表記が目立ちますね。

 「『Saved by the Belles』には、プロの俳優はひとりも出演していません。ブライアンは実際にクラブのドラッグ・クィーン、スカーレットはコルセット・デザイナーで、映画の中で着ている衣装は、彼女自身がデザインしたものです。この映画を作るにあたっては、モントリオールのアーティストをたくさん参加させたいと思った。たとえば、ローカルなデザイナーがひとりずつキャラクターを選んで、その衣装をデザインするとかね。音楽も、すべてモントリオールを拠点にしたアーティストの作品で、全部で29曲使っています」

--- ニューヨークやロンドンと、モントリオールのクラブ・シーンはどのように違うと思いますか?

 「幅の広さかな。多様性。いろいろなサブ・カルチャーがあって、たとえばゴシック、レイヴ、グラム・ロックなど、音楽もファッションも違ったスタイルが同居している。ニューヨークでは、ひとつのスタイルで大きなフロアが埋まるだろうけど、ここではそれぞれが存在していても、数が少ない。だから、1カ所でいろんなスタイルを受け容れる。ひとつの箱に入った香水のミニチュア・ボトルみたいな感じだよね。で、みんな寛容だし、自由だし、みんなが同じ場所に出かけていくから、違うタイプの人とも交流が生まれる。ラッパーもロッカーも同じパーティーに出かける。それがおもしろいと思います」

--- 『Saved by the Belles』は、“記憶”をテーマにしていますね。あなたの最初の記憶にについて話してください。

 「僕の人生には、ふたつのパートがあります。僕はレバノンのベイルートに生まれて、3歳のときに戦争が始まった。10歳でカナダに移住するまで、7年間のダークな日々を過ごした。そのころは、アメリカやカナダに対して、カーニバルのようなイメージを持っていました。華やかな生活、言論の自由、カラフルな街……。
 いまに続いている人生は、10歳のとき、モントリオールに移民としてやってきたところから始まっています。ミラベル空港に着いた日のことは、きのうのことのように鮮明に覚えています。1984年5月1日。飛行機から降りると、夜で、雨が降っていて、とても静かだった。最初に気がついたのは、“静寂”だった。爆弾が炸裂する音、攻撃や破壊の音をいつも聞かされていたから、静けさに慣れていなかったんだよね。ミラベル空港は、街の中心からも離れていたから、よけいに静かだったのかもしれない。春の雨が降っていて、空が広くて、何かとても平和な感じがした。それが、最初の記憶。・・この人生のね」
 「レバノンでは、2年しか平和な時間を過ごせなかった。僕は2歳だったけど、特別な何かが自分から奪われてしまったことは感じていました。レバノンのパラダイスのような風景―地中海に面した浜辺、スキーのできる山、ヨーロッパの大都市に匹敵する贅沢な部分……。子供心に、それらが奪われてしまった悲しさを感じていたと思います。2歳下の弟は、それを知らない。この2年の違いは大きいと思う」
 「僕はふたつの人生を得たような気がする。そういう意味ではちょっと、映画の主人公クリス/ショーンに似ているかもしれないね。ショーンは、自分自身を生まれ変わらせたかった。肉体を消そうとしなかっただけで、それは自殺みたいなものかもしれない。体以外のすべてを失って、名前も持たない。僕も、自分の名前を変えることを考えていた時期がある。アラブ系の名前だからなじみがなくて、ちゃんと発音してもらえなかったり、ハイスクールに通っていたころなんかは特に、カナディアン・ネームをつけようかと本気で悩んだ。でも、いまは自分の名前が気に入っているし、誇りにも思っているけど」

--- 最初の映画に、このテーマを選んだのはなぜですか?

 「記憶というのは最も大切なもの。それを自分でなくそうとするのは自殺のようなもの。人々は、必ずしも平等な条件のもとには生まれていないでしょう? 異なった階級とか、宗教とか。でも、誰もが自分の名前は持っている。それは唯一、何があっても自分の持ちものとして確保しておくことができる。それが、記憶の喪失によって失われたり奪われるのは、考えられうる最大の悲劇のように思う。自分が誰であるかを覚えていられないわけだからね。僕らは、すべてを、それまでの経験によって切り抜けてきているし、それは、よりよい人間になるためじゃないのかな。
 もしも、すべての記憶をなくしたら、どうやって自分自身を認識し、どんな人になろうと思うのか。まったく新しい人格を作り上げることができるのか、もともと自分の内にあったものを再構築するのか。なくした記憶をたどりながらアイデンティティーを探るのは、興味深いことだと思った。
 僕は、人生をある種悲劇的な眼で見ています。そして、生きる辛さのようなものを、表層的な状況によって表したい。それによって、表裏一体の何か―人生に必要不可欠なものと、ごく表面的なものなものとの間の何か―を、表現したいと思っています」

--- 『Saved by the Belles』の広告に、その登場人物についてといった具合に羅列したコピーがあります。自分を同じ方法で表すとしたら、どういう言葉になりますか?

 「invisible voyer(不可視の傍観者)、かな。(笑)僕はああいう世界を観察することが好きなんだけど、あのキャラクターのようなところまで行く勇気はない。僕は僕なりに、違う部分で大胆かもしれないし、映画に関しては、現代映画のリミットに挑戦したいと思っているけど、自分自身は外からは見えないところで眺めているという、その役割が気に入っている。人々を見つめることは、自分を知ることにもなるからね。どうしたいのか、どうあるべきなのか。
 あの映画も、状況を作って人をそこに置き、自然に何が起こるかをみるような形で作っています。もちろん、初めてのフィーチャー・フィルムを、そういう即興でしかもプロではない役者を使って作るというのは怖いことだけど、逆に、覚えたセリフをただ口にするような薄っぺらさは避けることができたと思う。技術を持たない素人が脚本を読んでも本当らしくは見えないし、だったら、彼ら自身のままでいたほうが物語も自然に進み、本物になると思った。フィクションとドキュメンタリーの中間であるとも言えますね。
 僕は、キャラクターに派手なメイクアップをほどこすように、映画そのものも飾り立てて偽物っぽくしたけど、物語が進むにつれてだんだんそのメイクアップがはがれおちていく。ドキュメンタリーに近づいていく」

--- それにしては、ラスト・シーンは安易で嘘っぽくありませんか?

 「早すぎるし、信じられない急な展開。自分でもそれは気がついていたけど、都会のフェアリー・テールにしたかった。ハッピー・エンドにしたかった。童話では、いろいろ悲しいことや残酷なことが起こっても、「そして、みんなで幸せに暮らしました」と落着してしまう。現実には、そんなことは起こらない。でも、映画なんだから、それをやりたかった。あり得ないことだからこそ、願望として“みんな幸せに”をやりたかったんだ」

--- 次はどんな作品を考えていますか?

 「この夏は、テレビの番組をつくることになっています。フェティシストをテーマにしたドキュメンタリーで、13回。自分自身の作品としては、ベイルートとモントリオールを交差して起こる話を予定しています。『バラディ』というベリー・ダンスがあって、それをタイトルにするつもり。“バラディ”には、アラビア語でmy countryという意味もある。自分のルーツを探るような作品になると思います。今年の夏のドキュメンタリーの仕事の経験が、次のフィクションにどんなふうに反映されるかに、僕自身興味を持っています」

 「カナダ人は、自国の映画を観ない世界でも少ない人種」であると、残念そうにジアッドは言う。「フランス人はフランス映画を観るし、日本人は日本映画を観る。でも、カナダ人はカナダ映画を観ない」
 日本の文化に興味を持っているという彼は、日本でも『Saved by the Belles』が公開されることを願っている。2年ほど前に日本を訪れたときは、渋谷のストリート・ファッションを眺め、レイヴ・パーティーに参加する一方で、高野山や奈良のはずれにも滞在した。
 French - English、男性 - 女性、現実 - 虚飾といった一見相反するものの「境界をぼかしたい」という彼が、いつか日本の「両極端の文化」をモチーフにして映画をつくればおもしろいのにな、と密かに私は考えている。

取材・文:関 陽子
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