16歳のとき、「建築に興味はないか」と親戚に問われて、「建築って何ですか?」と問い返したというダン・S・ハンガヌ氏は、それから数十年を経たいま、カナダを代表する建築家のひとりである。オールド・モントリオールの考古学博物館Pointe-A-Calliereをはじめ、McGill大学の法律図書館、シルク・デュ・ソレイユの総本部など、モントリオールの代表的な建築物の多くが彼の作品であり、それらは数々の賞を受けている。
 ルーマニアの職業軍人の家庭に生まれ、「家族のほとんどが軍人だったので」自身も「そうなるつもりでいた」が、叔母のひとことによって進路は大きく変わった。
 当時の東欧にはスターリンの影が差し、ロシア哲学を核にした教育が行われていたらしい。ハイスクールまでが10年で、大学が6年。ハンガヌ氏は、大学入試の2ヵ月前、16歳のときに「建築」と出会い、その後6年間にわたって「古典的な歴史建築」を学んだ。この「強力な基礎教育」に支えられた彼の建築は、一般にポスト・モダンと呼ばれるスタイルでありながら、確かにどこか伝統的な趣をもつ。
 母国での9年間にわたる活躍の後、カナダに移住。トロントを経てモントリオールにDan S Hanganu Architectsを開いた。現在は、15名がここで建築と取り組んでいる。
 美しくデザインされたオフィスのドアは、それだけでひとつの作品だった。天使が見守る扉を開けて、ハンガヌ氏の笑顔と言葉に会った。

--- 大学を卒業した後、最初にしたことは何ですか?

「いきなり大きなコンペに勝って、『作品が選ばれたから、建てなさい』と言われてしまいました。ファンデーション(基礎・土台)とフラッシング(屋根や窓の水切り)の違いも、窓ガラスとレンガの違いもわからないような状態だったにも関わらず、です(笑)。でも、試行錯誤の末、なんとか作りあげました。地域開発の一環で、オフィスやレストランなどが入った商業施設です。1961年のことで、私は21歳でした。今でもまだ、そのビルは建っていますよ」

--- その最初の作品を見て、どう感じましたか?

「見に行く勇気はありません。建物の建設が終わる前に現場を去って、以来、一度も訪れてはいないんです」

--- 写真も、ごらんになったことはないのですか?

「ありません」

--- 移住先として、カナダを選ばれたのはなぜですか?

「新しく移る場所は、仕事の機会がより多い場所でなければという気持ちがありました。そして、その頃(1970年)カナダのトロントは、人口に対する建設工事の割合が、世界で最も高い都市だったんです。しかし、それらは“建設”であって“建築”ではないということを、当時の私は知らなかった。超高層ビルや、大規模な建造物が次々に建てられてはいましたが、メッセージ性のあるものはほとんどなかった。トロントには1年間住みましたが、それからモントリオールに移りました」

--- モントリオールのほうが、アーティスティックな街だと思われたからですか?

「そうですね。それに、ラテン文化がルーツとしてあるということが大きかった。実際、様々な文化活動が行われていたし、フランス語と英語のバイリンガルで、外国人を受け入れやすい環境でもあった。いろんなアクセントで話す人々が、あちこちにいますよね」

--- 住まいとしてのモントリオールは、お好きでしょうか?

 「大好きですね。もう、ルーマニアにいたのよりずっと長い時間をこちらで過ごしています。32年になるのかな。ただ、移民には、どこの国に行ったとしても頭から離れない問いがあります。“果たして、この国がいちばん自分に合っているのだろうか?”、“正しい選択をしたのだろうか?”という疑問です。どんなに長い間そこに住んでも、これは消し去ることができません。世界中のどんな場所にも、それぞれの長所と短所がありますからね。このことについては、よく自問自答をしています」

--- 建築と建設の違いは、“建築にはメッセージ性がある”ということだとおっしゃいましたが、あなたの建築にはどんなメッセージが込められているのでしょうか?

「私が幸運だったのは、大学や、映画館、教会などの文化施設を手がける機会に恵まれたことです。私は、建築は常に文化を表す現象であるべきだと考えています。本来、文化であるはずの建築が、どんどん建設や建造になりつつあることに葛藤がありますね。特に最近では、芸術的な表現よりも商業主義的な価値観が主流になってしまい、作業のスピード化や、竣工の期限や利益などに、むしろ重点がおかれるようなところがあります」「質問に対する答えですが、私はメッセージを込め、伝えるために、何度も何度もトライしてきました。たとえば、大学の図書館なら“知識”の宿る場所として、そこで学ぶ若い人たちが励まされるようなメッセージをディテールに込めたつもりです。住宅でもそれは同じで、フランス風でもイギリス風でもかまいませんが、建物が個性を主張するよう心がけます。また、個々の部屋もそれぞれ用途が違いますから、その違いをはっきり表すようにします。キッチンにはキッチンの主張、バス・ルームにはバス・ルームの個性があるということですね。ただ、そんなことは気にもかけないクライアントもいますから、ときにはメッセージが受け入れられないこともありますね。それでも、必ずトライはします」

--- 建築は、バランスが必要とされる仕事だと思います。アーティスティックな感覚とエンジニア的な技術、視覚的なセンスと物理的な理解が必要とされ、芸術系でも理数系でもある分野ですよね。さらには、施主や工事担当者とのコミュニケーションも重要で……

「最後のは、セールスマンとしての能力ですよね。私には、その素質はまったくありません。でも、そういう素質を持った建築家は尊敬しますね。優れたアーティストであると同時に、優秀なセールスマンであることは難しいですよ。素晴らしい建築家でも、売り込み方を知らなくて有名になれない人はいるし、一方、建築そのものは平凡なのに、売り込みが上手で活躍している人もいます。両方を持っている人は、国際的に成功できるでしょうね。ただ、最近では残念ながら、“売れる”建築家になるために、うまい俳優であり、プロモーターであり、政治的な手腕も持ち、ときには法知識で武装した弁護士であることまでが求められます。私は、こうした能力や素質といったものが、建築家の本質よりも重要視されているような傾向に、大いなる不安を感じますね。北米では特にそうですが、建築家としての作品ではなく、建築物という“商品”を、まるで車を売るようにして、売ろうとしている」

彼自身が最も気に入っている作品は、Pointe-A-Calliereだという。「歴史を尊重し、現代的な主張を試み、英・仏の過去の敵対関係を表し、しかも(河のそばという)デリケートな環境にある。大変複雑な建物です」。
 いまではモントリオール・エリアで最高の現代建築と認められるこの作品も、建設当時は多くの抵抗に遭った。「設計を変更しようとしたり、プロジェクトそのものを中止しようとするような動きもありました」。
 Save Montreal Associationという団体は、その年新しく建てられた建築物のなかから、素晴らしいものにはオレンジ・アワード、「モントリオールの美観を損なう愚作」にはレモン・アワードという賞を設けて、毎年発表している。ハンガヌ氏の作品は、「オレンジ」を数回受賞しているが、「レモン」に選ばれたことも、一度だけある。コート・サン・キャサリンにそびえるHEC (Ecole des Hautes Etudes Commerciales)が、彼らにとっては「愚作」であった。


--- この件について、どうお感じになりましたか?

「彼らは、建築を深いところまで分析したうえで理解しようとはせず、メッセージにはたどり着かないままで批判したんでしょうね。でも、私は、表面的なものを作ってきたつもりはありませんから、視覚的なイメージの先にあるものを、見ようとしてもらえなかったのは残念でした。でも、何年も後になって、ようやくわかってもらえたようです。私の建築に反対した人たちが、今ではその建物の写真をオフィスに飾っていますよ」

--- ところで、大学の教授でもいらっしゃいますが、教えることは楽しいですか?

「若者と接することができ、彼らと、異なったアイデアをもって意見を闘わせたりできるのは、楽しいですね。教える立場での必要性から、国内と国際的なフィールドの両方で、最先端で何が起こっているのかを知る機会も与えられていることもうれしいです」

「学生たちには、形や流行を超えた何かを考えるよう、そして、旅に出て世界を見るよう教えています。一過性のイメージや、奇をてらった印象ではなく、本質的なものを探してほしいと思っています」

--- 将来、ぜひ作ってみたいと考えているドリーム・プロジェクトはありますか?

「私はとても幸運で、学校、教会、美術館など、建ててみたかったものをほとんど建ててきました。でも、そうですね、超高層建築、オフィス・タワーなどの、通常はファッショナブルではないものに挑戦してみたい。私は、高層建築にも、もっと個性が与えられるべきだと思う」

--- 現代は、若者が「夢」を持ちにくい時代だと思うのですが。

「どの国でも同じですよね。25,6歳で、まだ自分は何がしたいのかがわからない。それで、学校や職場を転々としたり、いろんなことを試している。情報過多、混乱、迷い……。自分が何がしたいのかをはっきりわかっている人は、本当に恵まれていると思いますよ」

--- 読者は20代〜30代が中心です。彼らへのメッセージをお願いします。

Oh lala!考えたこともなかったなぁ。私の娘はいま27歳ですが、マクギル大学を卒業した後、日本に住んで英語を教え、今は政治学を学ぶためにコスタリカにいます。彼女は、スペイン語、日本語、フランス語、英語、そしてもちろん、ルーマニア語を話します。私はそれを、彼女が将来与えられるどんな肩書きよりも、価値のあるものだと思っています。
 とにかくその人が生活を楽しんでいて、経験によって知識や生活が豊かになれば、それでいいんじゃないかな。そして、いつか、本当に何を追求したいのかがわかればいいね」
 「夢をかなえるための特別な方法(マジック・フォーミュラ)なんてどこにもないし、ただ勉強すればいいというわけでもないけど、ひとつだけ、はっきり言えることがあります。心を開いて、世の中で何が起こっているのかをしっかり見ること。“他の場所”をたくさん見てみること。これが重要だと思います。昔、まだ娘たちが子供だった頃のことですが、ヨーロッパや南米を旅行して、フランスやドイツやイタリアなどの美術館へ連れて行ったとき、彼女たちがあまり楽しそうには見えなかったので、ひどくがっかりしたことがありました。でも、それから20年たった今、娘たちはそのときのことをちゃんと覚えていて、たとえば同じラテン系でも、フランスやスペインと南米との違いを、見てきたものとして比較することができるのです。それを知ったとき、ああ、無駄ではなかったんだな、と思いました。子供たちは、とにかく旅をするべきです。北米に住む子供たち(ティーンエイジャー)は、あまり旅行をしませんね。たとえば、モントリオールからニューヨークなんてとても近いのに、そんな近いところにさえ行こうとしない。私は『行け、行け、行け、見ろ!』と言います。国によってどんなに文化、歴史、地理、人々etc…… が違うかを知るべきだ、と。それは、どんな仕事をするにせよ、大きなプラスになると信じます」
 「10年後、自分がどういう状態でいたいのかということを考えて、そのためにするべきことを実践するのは、その人自身です。<君>が社会にとって価値のある人間となるのは、二十代の半ばではないかもしれない。30歳、40歳のときがその時期かもしれない。いまはうまくいかないかもしれないけれど、でも、“そのとき”はいつか必ずきます。そして、一度来たチャンスは、また来るはずです。これが私のメッセージですね」

 日本のことわざに「かわいい子には旅をさせろ」というのがあると言ったら、彼は「それは知らなかった」と興味を示し、「"Thank you."は日本語でどう言うんでしたっけ?」と私に尋ねた。小さいけれど新たな知識を得たことに、感謝を表そうとする謙虚で前向きな姿勢。「ありがとう」だと答えると、彼はおそらく少年の頃から変わっていないであろう笑顔で、「ありがとう、ありがとう」とくりかえし言った。

 「きっかけは偶然でしたが、(建築は)天から授かった職業だと思っています。もし、人生をやり直す機会を与えられたとしても、きっと同じことをやりますね。運命のようなものだと思います」
 そう言い切ることのできる人の幸せを、ほんの少し分けてもらったような気分で、私も「ありがとう」という言葉を返した。そして、天使に見送られながら、扉を閉めた。

ハンガヌ氏ホームページ:www.hanganu.com

取材・文:関 陽子
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