“I'm the luckiest guy on earth.”にこやかな顔に、嫌みにならない自信を浮かべ、彼ははっきりした口調で言った。ケーブルテレビの音楽チャンネルMusiquePlusの人気VJのひとり。あらゆる音楽アーティストを相手に、フランス語と英語を自在に使い分けながらインタヴューを行い、即時に通訳。週末にはchom FMの番組でDJも務める。VJという比較的あたらしい仕事は、いまや若い世代にとって憧れの職業のひとつでもある。40分ほどのインタビューの間に、彼は自分がいかに幸運に恵まれているかを、何度も感謝を込めて口にした。

--- どういうきっかけで現在の仕事についたかを、まず簡単に聞かせてください。

「僕はニューブランズウィックの出身で、モンクトンの大学のキャンパス・ラジオ局で番組を担当していました。同時に、ラジオ・カナダとCBCでも、現地のアナウンサーとして仕事をしていました。イーストコースト・ミュージック・アワーズというイベントがあって、これはマリタイム地方のジュノー・アワーズ(カナダのグラミー賞)といったものなんですが、そこへMusiquePlusのディレクターが来て、番組で10分ほどのインタヴューをする機会がありました。そのときに、VJとして働くチャンスはあるだろうかと尋ねたんです。彼は、デモを送るようにいいました。デモというのは、通常は、2分〜5分のビデオに、ビデオクリップの紹介などをサンプルとして収めたものです。僕の場合は、すでにCBCでやった仕事のなかに、学校で子供たちにあるバンドを紹介するという番組があったので、そのコピーを送りました。それからオーディションを受け、うまくいきましたが、そのときはVJのオープニングがなかった。数ヶ月後、VJの募集があるということで、もう一度オーディションを受け、その結果ようやく仕事を得ました。ディレクターとの最初の出会いから、9〜10カ月の時間がかかったということです」

--- MusiquePlusはフランス語のチャンネルですが、もともとフランス語に不自由はなかったのですね。

「僕の第一言語はフランス語です。ニューブランズウィックの人口の30〜40パーセントがアカディアンと呼ばれるフランコフォンですが、そのほとんどは英語とのバイリンガルです。とてもラッキーな言語環境でした」

--- モントリオールに生活の場を移すことについては、いかがでしたか?

「最初は自分のゴールのことばかり考えていて、与えられたチャンスで頭がいっぱいでしたが、それとモントリオールに引っ越すこととは別の問題でしたね。僕のホーム・タウンは人口8千人という町で、それからモンクトンに移りましたが、そこでも8万人くらい。それからここに移ったわけです。モントリオールは、モントリオール島の人口だけで、ニューブランズウィック州の全体の2倍ですから、やっぱり一種のショックはありましたね。決して快適だとは言えないエリアに住んで、ゴキブリに遭遇したりしてましたから(笑)」

--- ちなみに、どのあたりだったのでしょう?

「Cote-des-Neigesです。モンクトンの広い庭付きのデュプレックスでのピースフルな生活から、ゴキブリのいるアパートメントへというのはちょっとつらい部分もありましたが、いま振り返ってみると、美しい街の別の一面を、早くから知ることができて良かったと思います。モントリオールは素晴らしい街だけど、一方には、恵まれない人たちもいるということ。引っ越して来たのが97年の10月で、そのアパートメントには9カ月間住みました。翌年の7月1日に絶対出るぞと決めて、実際そうしましたね(笑)」

--- 子供のころは、どんな職業に憧れましたか?

「野球選手になりたかった。エキスポスに入って活躍したかったんです。ずいぶん長い間その夢を抱えていましたが、ハイスクールを終えた後は、教師になるつもりで大学に行きました。ところが、3年がたったところで、キャンパス・ラジオ局の活動を始め、そっちのほうが断然おもしろくなって、授業に出るのをやめてしまった。いまも一緒にいるガールフレンドが、「教育」なんて専攻は向いていないよと言い、僕もそうだと思ったので、専攻を変えようとしたところ、学校側から追い出されてしまいました(笑)。それで、そのまま放送の仕事に入っていった感じです。学生のときからCBCの仕事をしていたので、とても順調でした。運命が味方してくれたというか、あるいは守護天使がついているのか、とてもラッキーだったと思っています。誰かが見守ってくれていることは確かだと思う。こういう仕事をしたいという人たちに、ときどき<どうすればいいの?>と聞かれることがあります。僕がそういう人たちに言うのは、才能は確かに必要かもしれないけれど、幸運が扉を開くということ。ただ、その扉を開いたままにしておくためには、才能や努力が必要だろうということです」

--- 音楽は、子供の頃から好きでしたか?

「自分で覚えている限り、4歳〜5歳くらいではもうかなり聞いていましたね。ちょうどその頃の写真に、フィッシャー・プライスの子供用のレコード・プレーヤーでレコードを聞いているのがあります。ちゃんと針がついていてね。(笑)それで、クイーンとか、ディズニーの音楽を聴いていた。母がクイーンやブロンディーのグレイテスト・ヒッツや、「グリース」、「サタディ・ナイト・フィーバー」といったディスコ系のレコードを聴かせてくれたんです。80年代の音楽も次々に与えてくれた。一方、父はラジオが好きで、いつもラジオを聞いていた。とにかく音楽にはいつもふれていました。母は、ローリング・ストーンズやビートルズといったロックの歴史を担うバンドのファンでもあったから、そういったものも自然に耳に入っていたし。いい環境でした」

--- 音楽アーティストへのインタヴューについてお聞きしたいのですが、おもしろい反面、難しい部分もありますよね。私自身、大勢のミュージシャンにインタヴューをした経験があるのですが、楽曲ですべてを表現しているからと、ほとんど話してくれない人もいれば、よくしゃべるけれどその話に実がない人とか、スタイルにこだわって形式的なことしか言わない人とか、いろんな人がいます。そういう人たちに初めて会ってあいさつをした直後に、いきなりなにやら深い話をしようと試みて、一時間後には別れて二度と会うことはないかもしれない。人間関係として考えると、非常に奇妙な関係ではありませんか。

「本当ですね。アーティストにもよりますが、彼らは結局、アルバムやシングルを売るためのプロモーションとしてインタヴューに応じるわけで、同じことを百回も百五十回も話している。そういう人たちを相手にしたインタヴューというのは、言葉のゲームのようなものでもあります。とても感じのいい人もいるし、意地悪な人もいる。熱心に話してくれる人もいれば、イエスとノーしか言ってくれない人もいる。ただ疲れていて、答えたくないという場合もあります。インタヴューで、おもしろい話が得られなかったとき、以前は自分が悪いのだと考えていました。きっと質問が良くなかったからだとか、準備が足りなかったに違いないとか。でも、そんなふうに考える必要はないことがわかった。アーティストが話したくないのは自分のせいじゃない。僕は、自分のするべき仕事をしていればいい。彼らがチープな答えを返したら、それも彼自身だということで、僕もオーディエンスも受け入れればいいんです」

--- テレビの場合は、視聴者がそのままを見て判断できるからいいですね。印刷媒体では、そうはいきません。

「編集者が5ページの記事を予定しているのに、2行分くらいしか話がないとか?(笑)でも、テレビでもそうですよ。8分の枠があったとして、ときにはそれを埋めるのが大変なこともあれば、アーティストの話を中断しなければならないこともある。生放送でインタヴューを行っているときは、アーティストからインタヴュアーとしての力量を試されているように感じることもありますね」

--- さっきおっしゃったように、彼らはたとえば同じアルバムについて百回もインタヴューを受けるわけですから、インタヴュアーとしては、何か他の人たちとは違う印象を与え、新たな言葉を引き出したいですよね。

「それは、常にギャンブルのようなものですね」

--- MusiquePlusでは、ライブでインタヴューを行う場合など、ファンからの質問を採用しています。

「ときどき、自分では思いもつかなかったすごい質問があって、『なんで思いつかなかったんだ!!』と悔しいことがあります(笑) 本当に、いい質問がありますよね」

--- ところで、昨今のカナダの音楽シーンについて、どんな意見をお持ちでしょうか?

「昔より良くなったとはいいませんが、健康的な状況になっていると思います。アメリカや他の国との境界が薄れている、ということも含めて。Celine Dion、Shania Twain、Alanis Morissette、Tragically Hip、Barenaked Ladies、Sloan、Our Lady Peaceなど、国際的に活躍しているアーティストがふえている。以前は才能があるアーティストでも、カナダの中でしか知られずにいる場合が多かったけど、今は、インターネットのおかげもあって、国境を越えて広がっていく可能性がありますね」

「一方には、カナダのバンドがカナダらしい音を出さなくなったというような批判も多い。アメリカのバンドと一緒じゃないか、と。たとえば、Our Lady Peaceがアメリカでも人気があるのは、アメリカ的なサウンドだからだという人たちがいる。僕はそうは思わないし、イギリス的だとか、アメリカ的だとか、分けて考えることがもはや不自然だと思う。音楽は音楽だし、いいと思って聞く人がいれば、どこからきたものがどこで聞かれるかなんて、関係ないよね。僕は、音楽的な国際化はどんどん進んでいると思います。日本の誰かが、たとえばOur Lady Peaceのことが知りたいと思ってホームページを訪ねれば、その場で何曲かをダウンロードする事ができるし、気に入ればCDをオーダーすることもできる。そういう時代です。僕はイギリスのものとか、しょっちゅうインターネットで買っていますよ」

--- モントリオールの話に戻りますが、いまはどんな印象を持っていますか?

「とても気に入っています。都市の真ん中にいながら、朝は鳥の声が聞こえるし。でも、1年に2回くらいは、ホームタウンに帰らないとダメですね。海の近くで育ったので、海が恋しい。セント・ローレンス河が悪いわけじゃないけど(笑)、大西洋にはかなわない」

--- 今後の目標について聞かせてください。

「こんな言いかたは変かもしれないけど、いまの自分のいる場所は、かつての夢が実現したものなんです。だから、いまがとても楽しくて、あまり先のことは考えられません。夢を忘れたわけじゃないけど」

--- 現状を維持しつつ、新たにチャレンジしたいこととか。

「ラジオの仕事をもっとふやしたいかな。ただ、テレビにしてもラジオにしても、自分の知らないことについては話したくない。僕は音楽が好きだし、音楽のことなら話せる。いまはそれが楽しくて、そんな楽しいことが仕事になっているんだから幸せです。だけど、いつか興味を失うことがあったら、そのときは惰性で仕事を続けたいとは思いませんね。ひとにはハピネスが必要だし、それがなければ意味がないでしょう」

--- 最後に、これを読んでいる人たちに、VJとして語りかける口調でメッセージをお願いします。

「Hi it's Pierre Landry from MusiquePlus. I'm a VJ here and I just wanted to say hi to everybody who wants to come in Montreal maybe come-live come-visit. It's a beautiful city and we have a lot of restaurants, a lot of great music, a lot of great festivals, and we have a lot of fun! If you are a MusiquePlus watcher, thank you for watching. If you don't watch, you better! Thanks and take care.」

http://www.musiqueplus.com/


取材・文:関 陽子
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