『Cheap Thrills』という小さなペーパーバックをご存じだろうか?ひとり10ドル前後で食事が楽しめる店を集めたモントリオールのレストラン・ガイドである。毎年更新されるこのタイトルは、多分、発行元であるVehicule Pressの出版物の中でも最も知られた一点だろう。今年は同様のコンセプトで、ニューヨーク版とトロント版の出版もひかえているという。

Vehicule Pressにとって、『Cheap Thrills』や、『Montreal’s Best Restaurants』(The Gazette紙に掲載された記事をまとめたもの)は、経営者であるサイモン・ダーディック氏とナンシー・マレッリ女史が、モントリオールという街に対する愛情表現の一端でしかない。おふたりは、公私ともにパートナーであり、夫は社長兼編集者として、妻は編集者としてこの出版社を運営している。妻はまた、コンコーディア大学の資料室のディレクターとして、モントリオールの歴史に関する調査を行っている。この街の歴史を探りつつ、新たな歴史に名を残す突出した才能を伸ばしたいと常に意識し、それを実現するための道具として、インターネットをはじめとする最新のテクノロジーを取り入れることにも余念がない。Vehicule Pressは、規模こそ小さいけれど、その影響力は見逃せない出版社だと言えるだろう。

ナンシーさんは、モントリオール出身。サイモンさんは、オンタリオ州キングストンの出身。1973年、アーティスト自身が経営するギャラリーの一部に出版部が設けられたような形で、Vehicule Press はスタートした。

サイモン「私たちの立場というのは特殊なもので、ケベックというフランス語圏における英語の出版社です。名前も合成語で、vehicule というフランス語とpressという英語の組み合わせ。もともと英語で書かれた作品を出版するだけではなくて、フランス語作品の翻訳も紹介しています。こういう立場にいられることは、とてもラッキーだと思っています」

ナンシー「モントリオールは、人々が調和をもって何世紀をも経てきた街です。分離だの独立だのといった話は、実は賛成派も反対派も少数で、多くの人々はその間に位置しています。そして、平和に暮らしている。争いは、両極のわずかな人々によって続けられ、表面的には目立つだけです。実際には、様々な文化がうまく共存している。私はイタリア系ですが、モントリオールにはとても豊かなイタリアン・コミュニティーもある。本物の多様性といったものが根付いていますね。私たちは、アイリッシュの歴史、ジューイッシュの歴史、といった各コミュニティーをテーマにした著作も多数、出版しています」

--- Vehicule Pressのモントリオールという街に対するアプローチは、おいしい食べ物と、文学とくに詩、音楽とくにジャズ、そして歴史である、という印象を得ています。

サイモン「ふたりして、モントリオールの宣伝をしている(笑)。ライフ・スタイル、食べ物、カルチャー、英仏の融合??」

--- 多様性とか、異文化の共存といった点では、トロントもそうだと思いますが、モントリオールとの違いをどのようにとらえていらっしゃいますか?

ナンシー「まず、モントリオールのほうが歴史が古いですよね。そして、よりヨーロッパ的です。これに対してトロントは、明らかに“北米の都市”ですね。モントリオールは、北米にありながらヨーロッパの影響をいまだに受けている。もし、モントリオールのポジションに近い街が北米内にあるとしたら、唯一、ニューオーリンズだけでしょう。とにかく、普通の北米の都市じゃないんです」

--- いかにも北米の都市”とは、具体的にはどういう意味を含んでおっしゃるのでしょうか?

ナンシー「センシビリティ、価値観が違う。トロントはよりハイテック、よりビジネスライクな価値観で動いています。<現在>が中心、というか。モントリオールには歴史を“感じる”ところがありますね」

サイモン「トロントは、コスモポリタン都市となる要素をすべて備えています。が、何か、努力してそうなろうとしている感じがする。モントリオールのほうは、自然にコスモポリタンな街になっていますね」

ナンシー「モントリオールは、長い間、大きな都市であり続けているし、その分世界に近いと言えるのではないでしょうか。<世界>の一部になってから、より長い時間を経ているということ。たとえば、世界のさまざまな情報について、北米の大都市は一般に非常に閉鎖的です。アフリカを例にあげれば、この国が話題になることといえば、飢饉や民族紛争による難民といったニュースばかり。アフリカには他の面もたくさんあるのですが、北米のメディアは取り上げません。昨日の夜ちょうど、BBCの番組を見たのですが、BBCをはじめヨーロッパの放送局は、もっと世界のいろいろな面を取り上げて番組を作っています。カナダでは、ナショナル・フィルム・ボードが素晴らしいドキュメンタリーを制作していますが、その活動の本拠がモントリオール(St-Laurent)にあるということも忘れてはなりません。(http://www.nfb.ca)」

--- 一方には、商業的なパワーを持っているトロントに対する嫉妬もありませんか?

ナンシー「モントリオールとそこに住む人たちは、もっと物質的、即物的消費的な社会になろうと思えばなれますよ。ただ、なりたくないだけ」

サイモン「少なくとも、そう信じたいということなんじゃないかなあ」

--- これまで、インタビューをしてきた中で、モントリオールという街はアーティストにとって生活しやすい場所であるということが何度か話題になりました。その居心地の良さは、反面、アーティストたちの野心を失わせる結果になっているという意見もありましたが、いかがですか?

サイモン「私たちは、アーティストたちのコミュニティとも親しくつきあってきましたが?それはどうかな」

ナンシー「そういうハングリー精神とか、野心を持った芸術家っていうのは、どの街でも、割合としてはとても少ないと思いますよ。この街では、野心を持たない人でも、それなりに居心地よく暮らせるということではないでしょうか? 画家だけじゃなくて、物書きや、映像作家なんかもね、比較的やりたいことをやりながらそこそこ生活できる」

サイモン「小さな出版社なんかもね(笑)」

『Montreal Photo Album』という本には、この街の歴史の断片がエピソードと共に収められている。ページをめくりながら、そこには書かれていない話も聞いた。たとえば、ある写真には現存しない教会が写っている。「この教会はなんだ?」「どこにあったんだ?」ということで、資料をひっくり返し、探し回ったあげく、見つかった答えは「ここ(Vehicule Press)の目の前」。教会は、火事で焼失したが、「写真に写っている通りの古い建物はまだ残っています」1939年に、25000人もの人々を招いて行われた105組の合同結婚式の写真も興味深い。このときに結婚したカップルのその後をたどれば、また1冊の本ができそうである。

--- ところで、モントリオールのジャズ・シーンについて、お聞かせ願えますか?

ナンシー「私は最近の動きについてはあまり知らないのですが、オスカー・ピーターソンをはじめ、一時は非常に活気があったシーンが、50年代に死んでしまいました。当時、華やかなナイト・ライフは地下組織によってコントロールされており、それが、ジャン・ドラポーが市長になった時点で一掃されたわけです。クリーンな街にするために、クラブは次々に閉鎖され、演奏する場所がなくなったミュージシャンたちは、モントリオールを離れざるを得なくなりました。結局それで、この街のジャズ・シーンはすたれ、以後、私の意見では、残念ながら立ち直ることができないままです」

サイモン「私の父はモントリオールで育っていますが、本当に一時は盛んだったようですよ」

ナンシー「ここには禁酒法がなかったので、アメリカからも人がたくさんやって来たんです。なにしろ非常に活気があったのに、急激に衰えました。現在、モントリオールでジャズ・ミュージシャンとして生活を立てていくのは難しいかもしれませんね。ジャズ・フェスティバルはあるけれど、日常的に音楽家を受け入れる土壌があるかどうかは疑問です」

--- Vehicule Press が生まれてからの27年という時間は、それ自体がすでに歴史ですよね。今後は、どのような方向を目指していますか?

ナンシー「私にとって最も重要なことは、常にコミュニティーと密接な関係を維持しながら、外の世界とのつながりを広げていくことです。常に新しい動きに目を光らせること。興味や好奇心を失わないこと。そして、新しい才能を発掘することですね」

サイモン「書籍を出版するだけでなく、パフォーミング・ポエトリーのイベントや、CDロム、ウェブ・サイトといった媒体にも力を入れつつあります」

ナンシー「会社とか仕事とかいった部分に限らず、とにかく同じ場所にとどまらないで、興味や好奇心を持ち続けることは、人生における挑戦ですね。退屈を知らないでいること、というか。もし、人間にとって大切なことをひとつ挙げろと言われたら、私は<好奇心>を選んでも悪くないと思う」

--- 才能の発掘についてですが、これまでに出版された作品のうち、3分の1は著者にとって初めての出版物なんですね。新たな才能を紹介すると同時に、ともに成長していこうという姿勢の現れでしょうか。

サイモン「著作家たちとの関係は、大変うまくいっています。何人かは重要な賞も獲得しているし、彼らがまた、隠れた才能を見つけて知らせてくれる。そうして人脈も広がっていきます」

ナンシー「小さな出版社だからこそできることですよね。本当に出版したいものだけを作ればいい。ぜいたくな話です。何ミリオンという売り上げのためにセックス・スキャンダルを追う必要もない(笑)」

--- 最後に、モントリオールで過ごす最高の1日とは、それぞれどんなものかをお聞かせ下さい。

サイモン「君がなんて言うかはわかってるよ。正直に言いなさい(笑)」

ナンシー「まず、散歩ですね。セカンド・ハンドのお店で、掘り出し物をみつけるのが好きなので、セカンド・ハンドめぐりをします。歩きながら、小物を手に取りながら、毒を抜いていく、という感じですね。サン・ドニやロリエを散歩するのが好きです」

サイモン「9月のジャン・ターロン・マーケットは最高ですね。夏から秋への収穫が満ちている。ベーカリーでおいしいパンを買って??」

ナンシー「そうね。だから、理想的な1日は、季節は夏。朝早く起きて、ジャン・ターロン・マーケットに行き、買い物をして、コーヒーを楽しみ、ピクルスをつくり、食事の用意をし、友達を呼んで庭を見下ろすデッキで食事をする。それが、私の理想の1日ですね」

サイモン「食べものと友達とセカンド・ハンド(笑)」

ナンシー「夏の間は、毎週末、実際そんな感じじゃない?」

サイモン「サン・ドニとサン・ローランにはさまれたエリアにあるのに、自分たちの静かな世界が保てる。街の真ん中にありながら、田舎のような暮らしができる、これもモントリオールの素晴らしいところのひとつだね」


取材・文:関 陽子
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