第2回モントリオール・ビエンナーレが、幕を閉じた。「ビエンナーレ」とは、2年に一度の主に現代美術の展覧会を意味する。ヴェニスやサンパウロで開催されるものが有名だが、ここモントリオールでも1998年に初のビエンナーレが開かれた。今回のPEOPLEでは、このイベントを主催するCentre International D'Art Contemporain de Montreal(国際現代美術センター)のトップであり、ビエンナーレの総指揮をとるディレクター、クロード・ゴセリン氏にお話をうかがった。ゴセリン氏は、美術評論家、カナダ・カウンシルのオフィサー、美術館のキュレーターなど、さまざまな角度からビジュアル・アートに関わってきた専門家。日本のアーティストを紹介した経験も少なくない。

「25年間にわたる経験を通じて、この街において「視覚芸術」は、重要な位置を占めていると確信しています。まず、人々の心のなかに、美しい街や美しいものを求める気持ちが強いと思う。そして、モントリオールという都市は、ギャラリーやアート・センター、美術館など、アートにふれる機会を多く提供しています。発表と鑑賞のためのネットワークがある。ビエンナーレは、そのネットワークをさらに広げる機会です。世界各地からアーティストに参加してもらい、アーティスト同士が、「いま、何が起こっているのか」を見渡すためのね。アートの世界でも、いろいろなことが起こっています。が、ひとつひとつのイベントだけでは規模が小さすぎて、なかなか人を引きつけることはできません」

--- 前回と、今回とで特に違った点はありましたか。

「前回は、本来はひとつの会場ですべての作品を展示したかったのですが、結局3カ所に分散されてしまいました。そのために、コンセプトとして打ち立てられていたアーティスト同士のリンクが、いまひとつ達成できなかった。今年は、一カ所ですべての展示を行うことができました。12カ国から参加したアーティストたちの交流も促されたのではないかと思います」

--- 今回参加したアーティストたちは、どのようにして選ばれたのでしょう?

「原則として、招待という形をとっています。私は直接、アーティストの選出には関わっていません。私の役割は、ビジュアル・アート、建築、エレクトロニック・アートの各分野で、ひとりずつキュレーターを選び、彼らにアーティストを探してもらうことです。3人のキュレーターがそれぞれ、各国のギャラリーなどに問い合わせ、展覧会を実際に見に行くなどして情報を集め、アーティストとコンタクトをとり、展示を完成させるという方法をとりました」

--- 「時間」というテーマについては?

「新しい世紀を迎えつつあるということで、誰もが「時間」という概念を、普段よりも意識しています。それで、今年は時間をテーマにしようと考えました。ただし、我々なりの「時間」を。時間のとらえかたは、様々です。人の気持ちを決めるものでもあり、罠にもなりうる。同じ時間でも、捉え方は変わってくる。避けたかったのは、短絡的な時間の概念。メタファーとしての時間、をテーマにしています」

--- 「世紀末」は芸術活動に影響すると考えられていますが。

「新しい態度というものを生みだし、それを確立させるような出来事や瞬間が、歴史の中にはあると思います。我々の存在とはいったい何であるのかを、ひとりひとりに見つめ直させるような。あるいは我々の過去と未来について、改めて考えさせるような。世紀の変わり目というのは、我々が何者であり、どこへ向かっているのかを考える機会のひとつ。特に今世紀には、戦中・戦後といった「考える機会」もありました。歴史上のこうした出来事や変化は、芸術家や文学者に刺激を与え、触発する。それは、変化の中で自分は何を表現するのか、ということに結びつく。また、メディアを通じて、さまざまな情報が交換され、ひとつの時間に凝縮していく。何かが生まれやすい状況にはなっていると思います」

--- 「時間」によって、表現の手段が広がっていますよね。たとえば、今回のビエンナーレでも、展示のひとつはコンピューターの中で行われている。一方では、原始的な手法の作品に窓からの自然光がさし、印象を変えていくといったものもある。それらが同じ会場で、人々の目に触れるのが、おもしろいなと思いました。

「人が洞窟の壁に動物の絵を描いた時代から、変わっていないものがあります。描く人の、力強く、美しい意志のようなものです。あるいは、子供たちが描く絵を見てごらんなさい。そこには詩的で繊細な感覚があふれている。こうしたものは、変化しない。永遠に残るものです。私たちは、最先端のテクノロジーや、イメージを具体化するための新しい素材を手に入れています。コンピューターやビデオといった新しいメディアは、かつては得られなかったクオリティーや可能性を与えてくれます。が、それぞれの方法は、それぞれの限界をもまた抱えています。万能な表現方法、完璧な手法というものは、存在しないのかもしれません。コンピューターで可能になることの素晴らしさと、デリケートな紙に描かれた繊細な線を比べるわけにはいかないのです。アートにおいては、この手法は過去のものだとか、この方法こそが新しいといった考えかたは、間違っていますね。未来が善で、過去は悪であるというのも間違い。それぞれに違ったクオリティーが、それぞれの方法に備わっているのです。作者がそこに何を含んでいるか、それをその素材や手法によって、どのように表しているかということが重要です。作品の中にアイデアがあり、情報があり、知識があり、メッセージがあり、詩のあることが大事なのです。ですから、モントリオール・ビエンナーレでも、コンピューター・グラフィクスと、古典的な手法によるドローイングの両方を展示することに迷いはありません。表面的なスタイルではなく、創造力と感受性、そして詩的精神こそが、目撃すべきものだと考えているからです」

--- モントリオールは、アーティストにとって住みやすい街だと言われます。住居費が安く、創作、発表のスペースともに得やすいこと、一般の人々のアートに対する理解などが、その要素として挙げられていますが、いかがですか。

「それは、その通りですね。しかも、ニューヨーク、トロント、シカゴ、あるいはヨーロッパにも近いロケーション。何かをやろうとしたときに、大変便利な場所です。ただ、ここには良い意味での攻撃性が足りないという問題があります。アーティストたちが<現状>に満足してしまい、自己の作品を売り込む力に欠けている。機会は与えられていても、居心地の良さに安住して、もっと大きな世界に飛び出していく勢いがない。野心が足りないというのかな」「ビエンナーレを通してできるのは、地域を活性化するとともに、外からの注意を引くということ。というのも、現状では、メディアを利用してアートを活性化するということが、とても難しいんです。たとえば、視覚・映像メディアであるテレビが、ビジュアル・アートには興味を示さない。ビジュアル・アートを題材にした番組なんて、皆無に等しい。ケーブルや衛星放送のチャンネルは何百とあり、デザイン、建築、ビジュアル・アート、ファッション、コンピューター・グラフィック??といった分野をカバーしたチャンネルがあってもおかしくないのに、ないわけです。視覚芸術について気軽に話すことができなくなってしまっているんですね。評論家や美術ライターたちが、アートを小難しいものにしてしまったというのも問題。わかったふりをして難解な言葉を使い、興味を失わせる結果になっています」

--- 作る人が多くても、買う人がいない、という指摘もありました。

「そして、資金はあってもテイストが保守的ですね。好奇心が足りない。アートとマーケットの間の大きな誤解は、「良い作品=高い」というものです。アートの値段について、まるで、すべてが印象派の作品みたいな感じを持っている人が多い(笑)。実際には、数百〜数千ドルで買える素晴らしい作品があるんです。コンピューターをはじめとする最新機器なんて、半年もすれば価値は半分になってしまうのに、同じ値段で、絵画や写真の現代美術の作品が買えるというふうには、なかなか考えてもらえない。美術作品を買う、というと、すぐにコレクターになるようなイメージに結びつけてしまう。写真とか、版画とかから気軽に始めればいいんです。投資なんかも考えないで、自分が好きなものを選ぶことです。3回レストランに行くくらいの値段で買えますよ。(笑)」

--- 日本の作家について、どのような印象をお持ちですか?

「全体的に、クリアで静かでしかも、あたたかい。派手なデモンストレーションにも、静かな集中力が感じられます。1対1で作品に向き合ったとき、見る者のルーツにも入り込んでくる感じがします。作品に向かう姿勢が好きですね」

--- 取り上げられることの多い問題だと思うのですが、アートと、そうでないものの境界というのはどこにあるとお考えですか? 単なる悪ふざけにしか見えないものでも、作者が「これはアートだ」と主張すればそうなってしまうというようなことが、ときにあるように思うのですが。

「これも表現方法のひとつなのですが、同じ物でも、それをどこで見るかによって、意味が違ってくる場合があります。たとえば、マルセル・デュシャンは、見慣れた物体を美術館に芸術作品として展示した。(「泉」と題して、トイレットをそのまま置いただけの作品)どういう態度をもって、その対象を見るかですよね。その対象によって、どういう状況を作るか、です。作品そのものは語らないけど、どのように見せるかという点に、作者の思いを込めることができる。作者は、自分自身に問いかける必要があります。その作品に向き合ったとき、自分自身がどのような反応を示すか?どのような情報が、その作品から得られるか?自分自身はどのように、美や、愛情や、人生、争い、といったものに反応するか?そういう気持ちの不完全さ、不安定さが作品を生み出します。また、自分自身の知識や常識を壊し、新しい形態によってメッセージを発することができるようになります。

 自分自身を理解する方法、世界を理解する方法として、アートを選んだ人の姿勢が込められているかどうかが、その一線を決めるのではないでしょうか。その姿勢を感じるためには、見る側も、オープンな状態で美術館に行く必要があります。新しい情報を得るという態度です。もちろん、個人個人で好みも興味も違いますから、誰でも<これは芸術だが、こちらはそうではない>と、判断するのは自由です。ただ、自分自身に理解できないからと、拒絶することはしないでほしい。そこでは好きになれなくても、何か強いものが感じられれば、時間が後を引き受けてくれることがあります。時間が評価を決める場合がある。たとえば、家具。発表されたときにはひどいデザインだと酷評された椅子が、いまではどこの空港にも、歯科医の待合室にも置いてあったりする。(笑)新しい言語、新しいボキャブラリー、新しい美意識は、認められるのに時間がかかるということです。新しいものすべてを受け入れる必要はないし、急ぐ必要もありません。同時に、拒絶する必要もない。好きな作品を楽しんで、嫌いなものはほっとけばいいんです(笑)」

--- 最後に、モントリオールについて。なぜ、パリやニューヨークに移らず、ここにいらっしゃるのかを含め、ご意見を。

「他の土地を旅行することはよくありますが、私はやはり、この場所にルーツがあるし、やるべきことや、やりたいことがいろいろあるし、自分が自分のボスでいられる(笑)。決して楽ではありませんが、欲しいものは手に入れられるというか。まあ、大都市の王子様より、ヴィレッジの王様でいるほうがいい、といったところでしょうか(笑)」

大学在学中から、展覧会やイベントを企画。美術の世界でまだ経験していない職種は、アーティストとギャラリーのオーナーだという。芸術家として使用するメディアは、「インク&ペーパー」と、シンプルそのもの。「大きな何かを、少ない線で見せることができたら」。作品づくりは? とたずねてみると、「電話中にね(笑)」という答えが返ってきた。




取材・文:関 陽子
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