モントリオールユダヤ映画祭 (Montreal Jewish Film Festival)
期間:5月8〜5月15日
場所:Montreal Museum of Fine Arts, NFB Cinema, Cinematheque quebecoise
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写真『Nowhere in Africa』より |
筆者がこれまで見てきたユダヤ映画についての印象は、主人公の一生を通して描く大河ドラマが多いということ。そこに深い歴史的観念が表れているように思う。中でも数世代にわたる家族の食事シーンはおなじみだ。日本の小津安二郎の時代に通じるものがあるかも知れない。ただ、ユダヤ家庭では現代進行形の食卓シーンなのだけれど。
第8回を数えるこの映画祭に改めて注目してみて、なんとも興味深い作品がそろっていることに気づいた。そもそも、北米映画界におけるユダヤ系の影響力は資本・創作面ともに絶大だ。スピルバーグのように世界的に名を馳せる監督を輩出していたり、定期的にホロコーストをテーマにした映画を世に送り出すなどしているハリウッド映画界を見るとわかる。しかし、モントリオールユダヤ映画祭のラインナップはハリウッド映画とは一味違う。カナダの他、イスラエル、ドイツ、オーストラリア、スウェーデン等15ヶ国からの作品を通して、歴史と宗教上特殊な道を歩んできたユダヤ民族の現在を素朴に問い直すものだ。イスラエルのユダヤ系、世界に散らばったユダヤ系を比べてみてもその価値観はまちまちで、そこに家族、恋人、友人などのさまざまな人間関係が関わることで、作品ごとに異なったユダヤ人像を見ることができる。結果的に、ユダヤ社会像が浮き彫りになる。ホロコーストの過去と現在への影響は永遠のテーマだが、そこから離れて単純に現在の彼らの生活ぶりを垣間見るのもおもしろい。
会場のひとつであるNFB Cinemaはナショナルフィルムボードの映写室。各映画祭の会場として使われることも多い、こじんまりとした部屋。座席の背もたれが長くて心地よく、一度は訪れたい場所だ。通常、各国のドキュメンタリーやフィクション作品を上映している。
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写真『Thanatos & Eros』より |
ここで、現代心理劇、ドキュメンタリー、民族と、それぞれまったく異なるアプローチでユダヤ人像を探る3作を採り上げたい。モントリオールでこうしたユダヤ系の人々をテーマとする映画を観た後は、ユダヤ人街であるフェアマウント界隈を通りかかる時の心持ちもなんとなく変わってくる。映画のドキュメンタリー性の効果は偉大だ。
All I've got(イスラエル、監督 KAREN MARGALIT)
ユダヤ人版アフターライフ。あの世の一歩手前で、20代の頃に死に別れた恋人が主人公を待っていた。彼を選べば、夫と子供に恵まれた72歳までの彼女の人生の記憶は消されてしまうという。夫を取るか、若さを取り戻して不慮の事故のため不実に終わった恋を再燃するかの選択に迫られる。そんな特殊な状況に対面した一人の女性を通し、家族とは、愛とは、死とはノ人生についての価値観を問い直す。この映画のすばらしさは、重いテーマを想像力に溢れた状況に置き、晴れ渡った空のような趣きで綴った点だ。さわやかな作品。
Mike Brant - Laisse-moi'aimer(イスラエル、監督 EREZ LAUFER)
70年代、フレンチポップスのスターダムをのし上がった、貧しい家庭出身のイスラエル青年マイク・ブラント。自国でイスラエルの誇りと呼ばれるブラントは、フランスの商業音楽システムに巻き込まれながら、次第に自分の民族への帰属意識に目覚めていったように見える。ただ、プロデューサーたちとのトラブルは決して故郷の家族には知らせなかった。甘く情熱的で伸びのある声のヒット曲をふんだんに使って、はかなく散った一人の男の人生を色彩鮮やかに描いたドキュメンタリー。ショービジネスの世界、精神の衰弱、異性関係など、何かと考えさせられるブラントの遍歴が散りばめられている。
Mother V(イスラエル、監督 SHAHAR ROZEN)
民族色がもっとも色濃く出ている作品。イスラエルの地方の話で、勘当状態にある一人息子を刑務所に訪ねようと家を出る初老の女性が主人公。旅の途中、彼女に関わる男の子が警察に捕まったとき、「どこの部族のもんだ?」と聞かれるシーンが印象的。実は彼、遊牧民であるアラブ系ベドウィン族の一員。砂漠の向こうの彼の家には5,6人の幼児たちと母が住んでいるのだが、質素なこの家庭に、布で覆われたソニーの20インチテレビとビデオデッキが置いてあるあたり興味深い。イスラエル人である主人公が旅をしながらアラブ系の男の子と出会い、始めは警戒しながらも、息子をもつ母として母をもつ息子として民族種を超え交流するさまが感動的だ。
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