今回のレポートも先月に続き、私のクラスにいる面白いクラスメートの話からしよう。イタリア・シチリア島生まれのステファニアとは3年間同じクラスなのだが、今までに同じ服を着ている彼女を見たことがない。本人曰く何度か着ているそうだが、私が覚えている限り、毎日違う服を着てくる。毎日のコーディネートには常にその日の(テーマ)があり、今日は太陽、とか、今日は魔女、とか、それはそれは変わっている。ひそかに毎日違う彼女を見るのを楽しみにしているのだが、いつも同じものが一つある。それはサッカーボールに赤唐辛子がついている謎のキーホルダーである。彼女に聞いてみると、それは赤唐辛子ではなく赤い角、(コルネ)といわれているもので、イタリア南部のお守りだそうだ。服のどこかに赤いものをさげておくと魔除けになるそうで、彼女はこれをいつも肌身離さず付けていると言う。そういえばこの赤唐辛子(どうしてもそう見える)、トルコに旅行したときにいたるところで見た覚えがある。そして、私の兄が大ファンの映画グランブルーのジャン・レノ演じるエンゾもこの赤唐辛子を持っていた記憶がある。(ちなみに実家のネコの名前はエンゾ)。話が脱線したのだが、今回はこの彼女、ステファニアと共にリトルイタリーにあるNotre-de-la-Defence教会に行ってきた。

 Notre-de-la-Defence Churchはイタリア語でMadonna della Difesa、英語ではOur Lady of Protection Churchと呼ばれている。この名前は1898年に南イタリアの田舎町、Campobassoで聖母マリアが現れたという奇跡があり、その奇跡を称えてつけられたそうだ。

 この教会はイタリアロマネスク様式風にバジリカの形に建てられている。イタリア風な教会建築を期待していた私にとっては非常にうれしい。さて、イタリアロマネスク様式とは?バジリカとは? まずロマネスク様式から説明しよう。ロマネスク様式とは11−12世紀に南フランスを中心に、ドイツ、イタリアで流行した教会建築様式である。ロマネスク(ローマ風の)という名前のとおり、ロマネスク建築はローマ建築の特徴であった円頭アーチ、円筒ヴォールトを駆使しているのだが、建築構造上大きな窓を設置できず、壁部分が多いことが特徴である。しかし、ロマネスク様式と一言でいっても、国ごと、地域ごとでその建築様式変わってくる。伝統的なイタリアロマネスク様式は石、大理石を使い、外観装飾には柱と円形アーチがふんだんに取り入れられ、全体的には単純なバジリカ風の骨格をしている。バジリカとはローマ時代に広場に建てられた屋根つきの集会場のことをさし、これが後の教会建築の基本形となった。煉瓦造りのNotre-Dame-de-la-Defense churchはこれらの伝統的な要素が少しかけているが、バジリカ、円形アーチの装飾などのイタリアロマネスクの雰囲気を再現してあり、モントリオールにある数少ないイタリア教会建築の代表作といえるだろう。

 教会建築様式に満足している私をせかすように、ステファニアは中へ入れ、と言っている。この教会の‘イタリア色’は建築よりも、教会内のフレスコ画にある、と言うのだ。

 さて、フレスコ画とは、生乾きの漆喰壁に水で溶いた鉱物粉末の顔料で絵を描き、壁が乾く過程で起こる化学反応を利用して色を漆喰に染み込ませる方法である。フレスコ画の歴史は古く、紀元前2−3世紀にも遡り、主にイタリアで展開された。代表的なフレスコ画は、ポンペイの壁画(室内装飾)、ジョットによるアッシジ・聖フランチェスコ教会の壁画、そしてローマ・システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの傑作、最後の審判もフレスコ画である。フレスコ画は他のメディアに比べて発色がよく、丈夫で光に強いので、教会壁画に使われることが多かった。

 Notre-de-la-Defence 教会の内部には彼女が言う‘イタリアを象徴するフレスコ画’があった。イタリア人画家、Guido Nincheriによって描かれた色彩豊かなフレスコ画は1933年に完成した。彼のフレスコ画はブエノフレスコと呼ばれる手法で、顔料を水に溶くのではなく、ライムで溶く手法を使っている。これはミケランジェロが用いたフレスコ画法と同じそうだ。ふと、昔National Geographicに掲載されていたシスティーナ礼拝堂の絵の修復特集を思い出した。フレスコ画は丈夫で発色がよいのが利点なのだが、1度ミスをすると直せないという大きな弱点がある。油絵なら、上から他の色を重ねたり、削ったり、混ぜてみたり、といろいろと修正が利くのだが、フレスコは漆喰自体が絵の具を含んだ絵になってしまうので、ミスをおこすとまるごと漆喰をはがさなければならなくなる。丈夫で硬い漆喰を天井からはがすのは至難の業だ。また、発色がいいという利点のフレスコも何百年も経てば自然に埃、ランプの油炎膜などが何層にもなり、実際にミケランジェロが使った色がどんな色なのか、どの部分が後世に描き足された物かの見極めなどの論争があった。実際に修復後に現れたものは、美術史家の誰もが思っていたよりもはるかに明るい色だったそうだ。さらに絵に描かれていた男は実は女だったり、と巨匠ミケランジェロは今でも人々を驚かせている。

 大満足そうに眺めていたステファニアが興味深い絵の説明をしてくれた。上部には手をのばした聖母マリアと天使達、聖書の話、下にはイタリアの有名人、無線電信装置の発明でノーベル物理学賞を受賞したGuglielmo Marconi、そして馬に乗ったムッソリーニ、ローマ法皇の横にいる紫の洋服を着たNincheri自身の自画像。自分の自画像をローマ法皇の横にちゃっかりと描いてしまっているところがとても大胆である。ところで、このムッソリーニが描かれたフレスコ画には裏話がある。Nincheriがこのフレスコ画を仕上げたことで、彼はファシストだというレッテルを貼られ、警察に捕まってしまった。後にムッソリーニを絵にいれたことは彼自身のアイデアではなかったことがわかり、釈放されたそうだ。その後、フレスコ画を見すぎて首が疲れた我々は教会を出た。

 その数日後、授業中彼女は先生の目も気にせずシチリアのトランプゲームで遊んでいた。私はその日が締め切りの課題だったステファニアのポートレートを出し、彼女が私をどんなふうに描いたかうきうきして聞いてみた。すると、彼女は「前に教会でフレスコのPlaster(漆喰)って騒いでいたから、漆喰であなたの顔を造ってみたら、壊れちゃったのよ」と、無気質な私の漆喰顔が無残にもキャンバスからはがれているのを見せてくれた。しかも彼女は「持って帰るけど重いから」と教室の一角に立てかけ、その横に私の名前と、「このPlasterに触った者はたたりがおこる」と、メモ書きを置き、「これでよし!」と上機嫌で帰っていった。一週間たった今でもその漆喰の私は不気味な雰囲気を出しながら忘れ去られた教室の一角に置いてある。巨匠ミケランジェロでも、モントリオールのイタリア人フレスコ画家Nincheriでもなく、一番イタリア色の強いのは彼女であった、と教会レポートを書き終えて改めて思ってしまった。

-Notre-Dame-de-la-Defence
6810 Henri-Julien st


取材・文:りさ
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