St-John's Wartという花を知っているだろうか?毎年6月24日に咲く花で、その日がちょうどSt-Jean-Baptiste Dayなのでこの名前がついたそうだ。かくゆう私も日本語では弟切草と呼ばれている、と聞くまでわからなかったのだが。その6月24日はここ、モントリオールでもケベック州の国民祝日と定められている。St-Jean-Baptisteはフレンス系カナダ人の守護聖人でもあり、毎年St-Jean-BaptisteDayにはケベック州のいたるところでケベックの旗があがり、お祭り好きなケベッコワは初夏の夜を楽しむ。今回の教会めぐりはこのSt-Jean-Baptisteを奉っているSt-Jean-Baptiste Churchを取材してきた。

 教会はプラトー地区にあるカフェやお店でにぎわうSt-Denis通りから一本入った通りにある。かつてこの辺りは農場だったが、今では螺旋階段があるビクトリア調の家が並ぶ閑静な住宅街になっている。取材当日はSt-Jean-Baptiste Dayにあわせ、6月24日に行ったので教会のミサに集まる人でにぎわっていた。St-Denis通りからも鐘楼が見ることのできるこの大きな教会は、かつてノートルダム寺院の次に大きい教会だったという。何度か火災にあい、その規模は縮小していったが、今でも2800人が収容できる大きさである。

 St-Jean-Baptisteのミサが始まり、入り口近くの席に座るとなにか違う雰囲気を感じた。大勢の信者さんがどうもケベッコワではなく、ラテン系のような気がした。神父様が話されている言葉もまったく理解できない。あら?と思い、渡されたパンフレットを見てみるとMision Santa Teresa De Avilaと書いてあった。パンフレットを開けてみるとすべてスペイン語。私は来る時間を間違え、スペイン語礼拝の時間に来てしまったようだ。しかし、パンフレットにはSan Juan Bautistaと書いてあり、言葉は違ってもSt-Jean-Baptisteのミサだろうと思い、しばらくミサを見ていたが、合間を見計らって外にでた。

 後で聞くところによると、教会はその日、フランス語のミサを11時に行い、午後1時からはスペイン語系のミッションに教会を貸していたそうだ。結局その日はスペイン語ミサが終わった後、すぐに教会は門を閉めてしまったので中に入ってじっくり見ることもできなかったが、後日、再び教会へ足を運び、今度はゆっくりと教会見物をすることができた。

 教会正面の建築はネオクラシック様式と呼ばれる。ネオクラシック様式とは、ローマ、ギリシア時代の建物の一部を建築に取り入れ、ゴシック様式と比べると外部装飾を縮小し、シンプルな中の美を追求した様式である。モントリオールにはこのようなネオクラシック様式と呼ばれている建物が他にもあり、ノートルダム寺院の向かいにあるモントリオール銀行の建物もローマのパンテオンをコピーしたもので、ケベックネオクラシック様式の代表的建築物である。このSt-Jean-Baptiste教会の正面には、先端の幅が狭まっているコリント様式の柱(コラム)に、その上に載っている三角形のぺディメントと呼ばれる部分があり、ギリシア神殿を思わせる造りになっている。

 モントリオールの教会様式とは言っても、歴史が経つにつれ、ひとつの様式で統一するというよりも教会外部は他の様式を取り入れ、内部はまた違う様式を取り入れる、という混合型の教会が多い。この教会の内部も外観のシンプルさと違い、中に入ると多色使いの美しい色が目に飛びこんできた。

 クリーム色の天井には幾何学模様の美しいデザイン、壁には薄いパステル系の色を基調とした壁紙に抽象化された植物のデザインがいたるところに描かれている。ステンドグラスも教会にしては珍しくキリストの生涯など、聖書の話が描かれておらず、複雑化した植物のデザインになっていて、光がはいるとその繊細な線が美しい陰を落としている。教会自体が女の子向けに造られているかのような女性的な教会である。これはパリのオペラ座内部装飾に代表されるナポレオン三世様式と呼ばれるもので、オペラ座と比較したらSt-Jean-Baptiste教会はそこまできらびやかではないにしろ、祭壇には静かな華やかさがあるような雰囲気を持っている。祭壇にある聖櫃の上にはSt-Jean-Baptisteの像があった。

   St-Jean-Baptiste(日本語では洗礼者ヨハネ)というと、私的にはオスカーワイルドの戯曲、‘サロメ’を思い出す。また、レオナルド ダ ヴィンチが生涯手放さなかった彼の三つの作品の一つ、今ではルーブル美術館で見ることができる‘バプテスマの聖ヨハネ’の絵や、ギュスターブモローの名画‘サロメ’もヨハネを題材にとり、想像を膨らまして描かれたものだ。特にマルコによる福音書、マタイによる福音書にあるヨハネの最後は聖書の中でもドラマティックに描かれている。簡単に紹介しよう。

 ヘロデ王の息子、アンティパスは義理弟の妻ヘロデアを無理やり自分の奥さんに迎えた。これに非難したヨハネはアンティパスの怒りを買い、死海のほとりにある要塞で捕われの身となっていた。ある日、アンティパスの誕生日の祝宴が行われ、ヘロデアの娘(サロメ)は見事な踊りを舞い、アンティパスはおおいに喜ぶ。褒美に好きなものを言うがよい、と言われたサロメは母親のヘロデアに相談する。日頃からヨハネを憎んでいたヘロデアはヨハネの首を褒美として求めさせた。娘は「今すぐバプテスマのヨハネの首を盆に載せて、それを頂きとうございます」とアンティパスに伝えた。アンティパスは誓いを破るわけにもいかず、ヨハネの首をはねさせ、願い通りにそれを与えた。 (オスカーワイルドの戯曲、‘サロメ’ではヘロデアではなく、サロメ自身がヨハネの首を求め、狂乱したサロメがその盆に載った首に接吻し、「おまえの口にくちずけしたよ」とささやいている。かなり戦慄覚える描写に変わっている。)

 現在、シリアの首都ダマスカス市内にあるウマイヤドモスクにはこのヨハネの首が納められているという堂がある。6年前に中東に行った時、外のうだるような暑さと喧騒、モスク内のひんやりした空気と静寂が対照的だったことを思い出した。そういえばこのヨハネの話には続きがある。

 ヨハネの死後、アンティパスはヨハネの亡霊に苦しめられ、さらにはヨハネが生き帰ったという噂が広まり、アンティパスは不安の毎日を送った。それが、ベツレヘムの二歳以下の男の子を1人残らず殺させた残忍なユダヤの王、アンティパスの父ヘロデ王が探し求めていたイエスであった。

 見事につながっている聖書の話は非常に興味深い。なんだか今回はモントリオールのSt-Jean-Baptiste教会から始まり、ネオクラシック様式からギリシア、ローマ、そしてナポレオン3世様式からパリ、最後にヨハネの話でシリア、と、どんどんモントリオールから飛んでしまったのだが、宗教が与えてくれる空間もまた、私の思惑を螺旋にしてつなげていく、、とこの辺でうまく(?)まとめておこう。

-St-Jean-Baptiste Church
309 Rachel St. Est


取材・文:りさ
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