モントリオールはどこもかしこも聖人だらけである。通りの名前から町の名前、学校名から祭日に至るまで、この街で聖人の名前にさらされずに暮らしていくことは皆無に等しい。しかし名前は知っているけれどもいったい誰?という方も多いのではないだろうか。なにしろ聖人と名のつく人は目の回る数ほどいる。そして各聖人の呼び名が国によって変わっていくのでキリスト教に詳しい人でない限り、とても混乱する。

 例をあげると、ケベックの守護聖人であり、ケベックナショナルホリデーの主役でもあるSt-Jean-Baptistは英語ではSt-John, そして日本語では聖ヨハネ、という具合である。もともと、聖人信仰はカトリック教会の習慣であり、従ってルターの宗教改革後に生まれたプロテスタントでは聖母や聖人崇拝がない。しかし、プロテスタント系の英国国教会(Anglican 聖公会)ではSt-Georgeがイギリスの守護聖人とされている。そして本国イギリスではSt-George's Day(4月23日)が祝日となっている。英国国教会の場合、恋愛ときめくヘンリー8世の私的理由(離婚!)からもともとの国教であったカトリック教をやめて自ら首長の座につき、英国国教会を作ってしまったという理由があるため、カトリックと内容的に似ている点が多い。さて、前置きが長くなってしまったが、今回の教会はこの英国国教会の守護聖人、St-Georgeを奉るSt-Gorge's Anglican Churchである。

 竜退治の伝説のSt-George と聞いてもピンと来ないのだが彼も例によってたくさんの名前で呼ばれている。聖ジョージ、ジェオルジオ、ジョルジョ、ゲオルグ、ゲオルギオ、サンジョルディ、、。昔、神田の古書店で働いたことがある私は、最後のサンジョルディでピンときた。日本ではサンジョルディの日というのがあり、その4月23日は本の日となっている。私的には本屋の陰謀?によって勝手に本の日と定められていると思っていたのだが、スペインではこの日は本を送り、送られた相手は赤いバラを返すという習慣があり、その習慣を真似て作ったそうである。ちょうど4月23日はスペインの作家、セルバンテスの命日でもあり、イギリスではシェークスピアの命日でもあるのでそれも乗じて本の日となったそうだ。イギリスで祝う4月23日は本の日というよりも守護聖人を祝う祭日の要素が強いようだ。強い愛国心を持つイギリス人はその日に赤いバラを上着につけるという習慣がある。4月23日はその趣旨が違うにしろ、St-Georgeを祝うことは同じようだ。しかしなぜどちらも赤いバラが話にでてくるのだろうか?

 赤いバラは伝説に由来している。黄金伝説といわれる13世紀の本によると三世紀末、トルコのカッパドキアで生まれたSt-Georgeは軍人となり、旅の途中でイスラエルにある町にやってきた。その町は凶悪な竜に毎年若い女の生贄を捧げており、その年は王女クレオドリンダの番であった。St-Georgeは王女を救い、見事に竜を倒した。その倒れた竜の後から深紅のバラが咲き誇ったそうだ。

 後の芸術家達は好んでこの伝説を題材とした絵や彫刻を作っている。中でもラファエロ、ルーベンスなどが描いた白地に赤の十字架の旗を手に白い馬に乗って竜退治をしているSt-Georgeは有名だ。しかしこの竜退治の話は11−12世紀以前の書物や絵には見られない。以前に存在したのは彼が大変な殉教をしたというキリスト教に基く話のみであった。キリストがSt-Georgeの前に現れ、彼の人生の中で7年間牢屋に閉じ込められ、3回死ぬことがあり、それでも生き返ると告げたそうだ。確かにこのキリストのお告げは当たったそうで、St-Georgeは車輪に縛られて町中を引きずりまわされた時も彼はちっとも痛みを感じなかったと言う。さらには釘を何本も打ちこまれたり、火あぶりにされてもへっちゃらだったSt-Georgeは最終的には斬首されてやっと殉教した。それにしてもキリストはもう少し良いお告げをしてくれてもいいのに、、と思ったのは私だけだろうか。

 さっそくSt-George's Anglican Churchへ行ってきた。この教会はダウンタウンの中心にあるドルチェスター広場に面する一角にある小さな教会である。立ち並ぶ巨大な近代建築ビルの中でその一角だけが世界を遮断しているかのように大きな木が茂っている。1870年に建てられたこの教会はイギリスビクトリアン様式とフランスネオゴシック様式が混ざり合った美しい建物である。中に入ると巨大な木枠の天井に空調用扇風機が静かな音を立てて回っていた。Naveと呼ばれる身廊にはケベック、モントリオール、カナダ、そしてイギリスのユニオンジャックの旗が置かれている。St-Georgeにちなんだ物はないだろうかと探していたところ、怪しく思われたのか夕方のミサの準備をしていた教会の人に「何か、、? 」と声をかけられた。

 彼はJoel Harelyさんといい、この教会のVerger(聖堂番:教会堂の掃除をしたり礼拝者を座席に案内する人)を勤められている。St-Georgeにちなんだものを探していると伝えると彼は笑って、「あなたの目の前にありますよ、ほら。」とイギリス国旗を指した。このユニオンジャックの中心にある赤い十字架に当たる部分はSt-George's crossと呼ばれるものだそうだ。イギリスの守護聖人はここに記されていたのだ。そして、祭壇に飾られてある木彫り彫刻はSt-Georgeの伝説を描いたものであると教えてくれた。祭壇は一般礼拝者が入れないようにロープが張ってあり、入るとセンサーが鳴る仕組みになっていたので遠くから眺めていると「遠くからではよく見えないから入ってもいいですよ」と快くセンサーを解除してくださった。

   どこの教会でも祭壇は立ち入り禁止になっていたので、祭壇に上れることで私はかなり感激した。近くで見ると彫刻の精工さがよくわかる。イギリス人の職人技というのはすばらしいなあと単純に感動していると、突然教会の鐘が鳴り出した。それは日本の学校のキーンコーンカーンコーンという音に近いのだが、少し音が外れているようだった。Joelさんの説明によると、この鐘は毎15分ごとになり、その度に音律が長くなっていくそうで、4時きっかりの時はそのメロディーの最後にゴーンゴーンと4回なるという仕組みになっているそうだ。昔この鐘は手で突いていたのだが、今では自動的に鳴る仕組みになっている。そしてこの音律は祭壇左手にある小さなキーボードで調節しているそうだ。そのキーボードも開けて見せてくださった。(写真)「ちょっとメロディーを変えてみましょう。何か弾いてみてください。」一瞬冗談かと思ったのだが、驚いている私をよそにJoelさんが鍵盤をたたくと塔のほうから鐘が鳴った。時間以外に鐘を鳴らしてもいいのか、と不安になって聴いてみると「大丈夫。昔と違って現代では皆、腕時計を持っているから。教会の鐘が時間を決める時代はもう終わったんですよ」と言われた。‘ネコ踏んじゃった’を教会の鐘で聴いてみたいな、とふと思ったのだがさすがにそれはやめ、恐る恐る鍵盤を弾いて見ると同時に鐘が鳴っている。不思議な気分だった。直接鐘を突くってどんな感じなんだろう?と思い、その鐘楼に登れますか?と聞いてみるとJoelさんはにこりと笑い、「それでは塔に登って直接突いてみますか?」意外な展開になってきた。

 ぱっと見は扉があるとはわからない壁のようなところを少し押すとその中に重そうな鍵が何個もかかっていた。これが鐘楼への扉を開ける鍵で、さらに何個もの扉があり、その度に大きな錠で開けていく。これは鐘楼の非難経路がひとつしかないため火事の際に危険なので、モントリオール市の建築規格によって一般公開禁止になっている。そのために何個もの扉と厳重な鍵がしてあるそうだ。塔への扉は背の低い重い木の扉である。中は古い木の匂いと埃の匂いでむっとしている。今にも壊れそうな古い木の螺旋階段を上り、やっと頂上かと思いきや、そこは床を這って行かなければ通れない天井の低い小さな屋根裏部屋になっていた。その天井の一枚の板をかぱっと開けるとやっと鐘がある場所に着いた。(写真)まるで忍者屋敷のようである。

 思っていたよりも広いスペースに鐘が7個置いてあった。鐘の中に振り子が入っており、それを揺らすと深い音が鳴る。今は自動的になる仕組みになっているので外から機械につないである打ち棒のようなもので叩いて鳴らす。鐘の外側からそれを手で鳴らしてみると高い音が鳴った。自分で打った鐘の音は力強く響かなかった。かすかに残っていた響きがいつまで続くのかなと思って秒を数えていた瞬間、30分を告げる鐘が一斉に鳴り出した。鐘の隣で聞くと心地良い音はほど遠く、360度をぐるりと音で囲まれ、音に呑みこまれそうな気分である。Joelさんはこの隣で聞く鐘の音が一番気に入っているそうだ。鐘が鳴る一番長い時間(12時)にわざわざ同僚と塔へあがって騒音?を聴きに来ることもあるくらいである。「当初あった鐘は市民からうるさすぎると苦情があり、郊外の教会へと送られ、今の低いトーンの鐘が設置されました。人間の耳に一番心地良い音というものがあるんです。心理学的にも教会の鐘は心を休める作用があるそうです。でも私はここで聴く鐘の音が一番好きなんですけどね。」

 突然の訪問に快く応じ、貴重な体験をさせていただいたJoelさんにお礼を言うと、「また時間をうちたくなったらいつでもどうぞ。」と言われた。私は自分の時間を聞きにまたこの教会へ行くだろう。

-St-George's Anglican Church
1101 Stanley
(514) 866-7113


取材・文:りさ
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