モントリオールで最も有名な教会といえば旧市街に建つNotre-Dame Basilicaではないだろうか。毎年夏になると片手にカメラの観光客で賑わい、冬はクリスマスミサの信者でにぎわうこの教会はモントリオールの顔としてよく紹介されている。モントリオール初のネオゴシック建築様式、誰もが圧倒される内装の豪華さと蒼い光が美しい祭壇。‘クリスマスキャロル’で有名なイギリスの作家、Charles Dickensも賞賛したノートルダム聖堂だが、実はかなりいわくつきの聖堂である。ネオゴシック様式という斬新で美しい建築の裏にどろどろしたカトリック教会内の権力争い、そして英国国教会とフランスカトリック教会の対立の歴史が隠されている。今回の教会めぐりはこのノートルダム聖堂の建築様式、そしてこのノートルダム教会を中心に始まった19世紀後半から20世紀初頭の教会建築競争を紹介しよう。

 現在のノートルダム聖堂は4代目にあたるものである。1829年にアイルランド出身のNY建築家James O'Donnellによって建てられたノートルダム聖堂は、当時モントリオール初のネオゴシック聖堂として有名になった。ところでこの‘ネオゴシック様式’とはいったいなんなのだろうか? 

 ネオゴシック様式とは、18〜19世紀にヨーロッパで流行った教会建築様式である。従来のゴシック様式(12世紀―ルネサンス期の建築様式)の簡素化したもの、と考えればいいだろう。(ゴシック様式とは??と思う方の為に...ゴシック様式は天に向かってのびるような建築様式で、以前の教会建築には見られない縦のラインを強調している教会である。建築技術が発展し、大きな窓が取りつけられるようになったので、バラ窓、ステンドグラスの多用も始まった。パリにあるノートルダム寺院はゴシック建築の代表。)モントリオールのネオゴシック様式の教会は大体がヨーロッパのそれと比べて地味である。もちろん技術の違いや歴史の違いも関係してくるのだが、特に気候の違いも関係してくる。長く寒い冬に絶えられる教会を作るためには外装飾を最小限に押さえ、内装に力を入れるというのがモントリオール教会の特徴のようだ。特にノートルダム聖堂の外観は装飾が最小限に押さえており、ぱっと見ではパリのノートルダム寺院の建物と似ていると思われるかもしれないが、私はそれよりもロンドンにあるイギリス系ネオゴシック様式のWestminster寺院に近いように思われる。

 さて、少しややこしいのだが、ノートルダム聖堂と権力争いをしたケベック司教、そして英国国教会とフランスカトリック教会の関係を考えてみよう。教会側は新聖堂建築に対し、建築家James O'Donnellに二つの要求を出した。モントリオール市内のどこからでも見ることのできる巨大な聖堂であること、さらにノートルダムの権威を誇る素晴らしい装飾であり、他のどの教会にも見られない建築であること。当時の移民の急増により教会の拡大の必要にせまられた理由もあるのだが、なぜ教会側はここまで外観と新しさに執着したのだろうか?

 1549年に日本へ宣教にやって来たフランシスコザビエルはイエズス会という修道会であったが、モントリオールにおいては1657年に到着したサンシュルピス会(Saint-Sulpice)がカトリック宣教活動を始めた。フランス領時代にモントリオール島を買い取ったサンシュルピス会は修道会としてだけでなく大地主として最初のノートルダム教会を建て、ノートルダム教会はモントリオールにおける中心的なフランス系カトリック教会となっていった。1763年のパリ条約で正式にフランス植民地がイギリスに譲渡されると事態は変わってくる。基本的に英国国教会であるイギリスにとって、殆どがフランス語を話すカトリック教徒の街を統治するのは難しかった。そこで、カトリック教の信仰の自由を認め、モントリオールにおいては当時最も力のあったサンシュルピス会を援助することによって統治をはかろうとした。サンシュルピス会としてはイギリスという巨大な大蔵省を味方につけたようなものである。そしてサンシュルピス会とノートルダム聖堂の運命はイギリスに託されるようになる。しかしこれはフランス系住民そしてフランスカトリック教会のケベック司教にとっては裏切りのようにも見えた。

 英系移民の急増と共に、伝統的な仏系コミュニティーが脅かされつつあると考えたケベック司教はフランスカトリック教会の威厳を見せるため(意地?)1823年、新しいカトリック教会を建てた。現在St-Denis通りにあるケベック大学の校舎の一部になっているCathedral St-Jacquesがそれである。翌年、サンシュルピス会はCathedral St-Jacquesに対抗して新ノートルダムの建築を始める。これが現在見られる‘ネオゴシック様式’のノートルダムである。最初に述べたように、外観はロンドンのイギリス系ネオゴシックWestminster寺院に近いと思う。その辺りにもノートルダムがイギリス系にこだわった理由があるような気がしてならない。かくしてこのカトリック教内の二つの権力サンシュルピス会とケベック司教、そしてイギリス(英国国教会)対フランス(カトリック教会)の教会建築競争の始まりとなったのだ。

 この教会建築競争で見逃せない教会は、まず英国国教会がノートルダムのネオゴシック様式に対抗して同じ様式、そして英語系のビジネス中心地に建てたChrist Church Cathedral1859年)である。現在では地下に巨大なショッピングセンターを抱える不思議な教会である。また、ケベック司教はサンシュルピス会の新ノートルダム聖堂、そして英国国教会が新しく建築したChrist Church Cathedralに対抗し、1894年、Basilica-Cathedral of Marie-Reine-du-Mondeを建設する。非常に面白いのは競争心剥き出しのその建築様式と、建っている場所である。サンシュルピス会のノートルダム聖堂の斬新なデザインに対し、ケベック司教は大胆にもローマカトリック教会の総本山、バチカンのSt-Peter's寺院をコピーしたデザインで対抗した。しかも建築家はノートルダム聖堂内装を担当したケベック出身のVictor Bourgeauを起用。そして街の真中に立てた英国国教会のカテドラルに対抗し、数ブロックしか離れていない現在の場所を選んでいる。司教のノートルダムの芸術的な完成度に対する執着心と英国国教会に対するカトリック教会の誇りと意地が感じられる。

 数年前から入場料をとるようになったノートルダム聖堂。中に入って素晴らしいネオゴシック建築と豪華な装飾と祭壇、妙に人物がリアルなステンドグラスを堪能するのもいいが、個人的には聖堂に面する広場、Place d'Armesで曰くつきのノートルダム聖堂をのんびりと眺めていろいろ思いにふけるのがおすすめである。この広場には様々な時代の建築様式に囲まれている。広場から見てノートルダム聖堂右の建物はノートルダム聖堂を守り続けてきたサンシュルピス会のサンシュルピス神学校(Saint-Sulpice Old Seminary 1685年)は市内に現存する数少ないフランス植民地時代の建物である。広場を挟んで左にあるのは市内最初の高層ビル、New York Life Building1888年)、その隣にある赤煉瓦色のアールデコ調のAldred Building1929年)。そして極めつけは広場をはさんで視界を遮る黒い近代的なビル。1829年に完成した当時は北米最大と誇ったノートルダム聖堂も、現在の広場周辺の近代建築に囲まれている姿を見ていると皮肉的に思えてくる。広場の中心には、1895年に建てられた最初のフランス人移民者の記念像がある。その記念像の上に立っているフランス人の最初の移民者であるMaissoneuve総督の像が見つめている先はノートルダム聖堂、そして1895年といえば前述したフランスカトリック教会のMarie-Reine-du-Mondeが完成した翌年である。これもまた何か深い裏の意味があるものかもと想像にふけったりするのもまたこのノートルダム聖堂の楽しみ方なのかもしれない。

-Notre-Dame Basilica
110 Rue Notre-Dame ouest

-Basilica-Cathedral of Marie-Reine-du-Monde de Montreal
1085 Rue de la Cathedrale
Dorchester広場の前Queen Elizabeth Hotelの隣)

-Cathedral Saint-Jacques
1430 St-Denis
UQAMケベック大学の校舎の一部)
取材・文:りさ
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