今回は教会めぐり初日なのでモントリオールで現存する最古の教会、と言われている教会からはじめよう。旧市街の東、石畳の趣あるSt-Paul通り沿いにひっそりとある教会が本日の主役、Chapelle Notre-Dame-De-Bonsecours(ノートルダム ドゥ ボンスクール教会)である。船乗りの教会とも呼ばれるこの教会の面白いところは、モントリオールの歴史を過去から現在まで一気にさかのぼれることだ。

 初めて訪れた時、ガイドブックには1657年に建てられたモントリオール最古の教会、とあったが私にはどうも古くは見えなかった。最古の教会というと、フランス植民地初期のシンプルな家のような教会を想像していたのだが、あまりその面影を感じさせないのだ。斜め前にあるPierre Du Calvet House(1771年)の建物のほうがフランス植民地の面影をよく残している。18世紀のモントリオール建築の特徴である、メタルシートで覆われた寄棟屋根に厚い石の壁を支えるSの字のエセス、小さい窓ガラスでできいる開き窓を忠実に残し、今のNotre-dame-de-Bonsecours教会よりもはるかに古そうに見えた。

 実際、現在残るこの教会は1657年に建てられた教会とは違う建物である。モントリオールにある他の歴史的建造物も同じように、長い歴史の間に火災で焼失されたり、修復、増築されているのでオリジナルの建物がそのままの状態で残っているということは少ない。この教会もそうである。1657年にモントリオール初の石造教会として建築工事が始まり、基盤が引かれたが、その翌年には工事を中断している。その20年後の1675年に工事が再開され、この教会がモントリオール初の完成した石作りの教会となった。しかし、この教会は火災によって焼失され、2番目の教会が1771年に再建された。現在見られる教会はこの教会をもとに増築されたものである。1885年には大改修工事が始まり、1905年、現在の正面の装飾、尖塔、後方の塔と6メートルもあるマリア像、12使徒像をつけたしたが、構造上その重さに耐え切れず、1953年に正面の尖塔と後の塔を低くした。この時、天使の像とマリアの像を残し、12使徒像は塔からはずされてしまう。(この12使徒の像は今でも教会内の美術館で見ることができる。)

 さて、教会の古さをとりあえず納得した後、この教会がなぜ“船乗りの教会”と呼ばれているのかを探ってみよう。1870年、ローマからの派遣団がモントリオールに帰る航路の安全を祈り、無事に着いたら船の模型を奉納することを約束し、約束通り奉納した史実から始まる。当時のヨーロッパからの大西洋横断航路は羅針盤の発明(正確には改良。中国が起源)に伴い、15世紀ごろから開けてはいたが、20世紀に入るまでは危険な旅であった。1534年にガスペ半島に上陸したフランス人探検家Jacque Cartierは20日間で大西洋を渡った記録を持つが、普通は2ヶ月以上もかかる長い航海だった。古いフランスのことわざに“Si tu vas en guerre, prie une fois, si tu vas en mer, prie deux fois.(戦に行くのなら神に一回祈れ、海に行くのなら2回祈れ)というのがある。新開地をめざした植民者たちは嵐に脅え、病気に苦しみ、飢餓と戦いながら大西洋を渡っていったのだ。この教会はそうした移民者たちが増えるに連れ、航海の安全を祈る特別な教会として人々に広まっていった。今でも教会内の内陣には奉納された船の模型が静かに釣り下がっている。

 教会が船乗りの教会と呼ばれるずっと以前、まだモントリオールがフランス領だったころにさかのぼろう。この教会の歴史を降りかえるにあたって重要な人物がいる。Marguerite Bourgeoys(マルグリット ブルジョワ)である。日本では江戸時代にあたる17世紀、28歳のPaul Chomedy de Masionneuve総督はヴィルマリー(モントリオール当時の名前)建設にあたり教育の必要を懸念し、フランスで修道女をしていた姉の紹介により、マルグリットにモントリオールでの児童教育と宗教活動を依頼した。その時代、修道院外での活動を禁止されていた修道女にかわりマルグリットは依頼を引き受け、フランスから長い航海をへて1653年にやっと到着。5年後彼女はNotre-Dame-De-Bonsecours教会の建設を始めるが数々の困難にあい、中断。 彼女に与えられたのは捨てられていた家畜小屋だった。マルグリットはそれを改装し、学校を開いた。(現在50 St-Paul westにはこの記念碑が建っている)その後も積極的に活動をし、彼女の長年の夢であったNotre-Dame-De-Bonsecours教会は1675年にやっと完成。しかし火災で焼失してしまう。この時、奇跡的に残った木造のマリア像は今でも教会内に置かれ、当時からのモントリオールの移り変わりを見守っている。そして波乱万丈な80年の生涯を閉じたマルグリットは、1982年教皇によって聖人の列に加えられ、今ではカナダの聖女、聖マルグリット ブルジョワとして特別な存在となっている。より詳しく彼女の生涯を知りたい方は教会に隣接しているMarguerite Bourgeoys 美術館へどうぞ。この美術館には彼女の生涯がミニチュアドールとなって展示してある他、Notre-Dame-De-Bonsecours教会の歴史もたどれるようになっていてかなり見ごたえがある。

 ところで、今回レポートをするにあたって久々に訪れてみると、毎週日曜日にボランティアとして教会案内係をされているMurielさんからこの教会にまつわるおもしろい話を聞いた。日本の北九州に住んでいたこともある彼女は時々日本語を交えながら語ってくれた。1994年の修復工事中に教会に張られていた幾何学模様の壁紙の裏から眠っていた絵が発見されたこと、モントリオール市内の殆どが焼けてしまったときもなぜか教会寸前で火事はとまった奇跡。特に興味を惹かれたのはマルグリット肖像画の隠されていた絵の話だった。20世紀半ば、絵にくわしいシスターが飾られていたマルグリットの肖像画に疑問を抱き、専門家に見てもらうとそれは17世紀に描かれたものではなかった。絵をエックス線にかけてみると、まるで違うマルグリットの肖像画が現れ、大発見となる。「聖マルグリットはこの教会の歴史にとって、そして私達カナダ人にとっても重要な人です。その肖像画は美術館に飾られてあるので見て行ってくださいね。でもマルグリットが帰天されたすぐ後に描かれた物だからちょっとおばあちゃん顔だけど若い頃はとってもきれいな人だったのよ。」そう言ったMurielさんの笑顔はとても印象的だった。

-Chapelle Notre-Dame-De-Bon-Secours
400 St-Paul est (metro champ-de-Mars)
(514)282-8670

-Marguerite Bourgeoys Museum
(514)282-8670
Open: Tue-Sun (Closed Monday)
May1 to Oct31, 10am-5pm
November1 to mid January, 11am-3:30pm
Mid March to April 30, 11am-3:30pm
*Closed from mid-January to mid-March


取材・文:りさ
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